Epilogue
With you, Without you 〜君がいた夏、いない夏〜 ―




 夏が過ぎていく。

「お待たせ〜」

 待たせすぎや。
 どうやらその平次の発言はあっさり無視される宿命にあったようで、
 和葉はそれ以上何も言わずに、さも当然のようにバイクの後ろに座った。
 今日も運転手は自分で、荷物はこの幼馴染というわけだ。

「ほんで、今日はどこまで行くんや?道場までか?」

「そ。飛ばしてや」

 スピード違反せんと間に合わんからな。
 もはや言ったところでどうしようもないので敢えて口にはしないが、
 ヘルメットの中でため息を吐くくらいなら許されるだろう。

 だれか、この遅刻常習犯に早起き、とかそういう単語を教えてやって欲しい。無駄だろうが。
 信号無視の甲斐あって、大学の道場に着くまでの時間はかなり短くなる。
 無視しても何とかなる信号と、そうでない信号の見極め。
 また裏道の発見など、どうでもいい積み重ねで徐々にタイムは短縮されていた。

「ありがと」

 それだけ言って、和葉がバイクから降りる。
 そのまま道場に向かうのがいつもの姿なのだが、今日の和葉は何故かこちらを振り向いた。

「平次」

「ん?」

「今日は、暇なん?」

 そんなわけ無いやろ。苦笑交じりに、平次は言葉を返す。

「探偵稼業再会してからこっち、そこら中から引っ張りだこや。
 名探偵は辛い、っちゅうこっちゃな」

 東京から大阪に戻ってまもなく、平次は探偵としての活動を再開していた。
 東京に出向く前からある程度決心していたことではあるが、
 やはり向こうでの時間で決意が固まった感は否めない。

 香澄にあったことや、怪盗キッドの件にまた関わったことが、
 自分が探偵である、ということを改めて思い出させたのかもしれない。
 
 母親は好きにしたらいい、と言った。
 大阪府警本部長たる父親には―――勝手に辞めておいて勝手に復帰する、
 というのだから当然かもしれない――――しばらく睨まれたが、資料を一冊もらった。
 お前の復帰後初仕事だ、とは言わなかったが平次はそう理解しているし、その事件ももう解決済みだ。

「そっか」

「なんや、深刻なツラしよってからに」

 だが、この幼馴染はその事が気に食わないらしい。
 いつものことだが、勝手な事である―――探偵をしていてもしていなくても、何かしらの不安があるようだ。

「花火大会」

「花火大会?」

 少し考えて――――思い当たる節があった。
 そういえば、約束していたような気もする。

 毎年見物に行くことが恒例となっている、大阪でも最大規模の花火大会だ。
 確か、今夜七時から。
 和葉はそれ以上は何も言わずに、道場のほうに向かってしまった。

「ほんまに――――ややこしいこっちゃで」

 今は、謝っても仕方が無い。
 平次は、頭の中で今日の予定を並べてみた。

「昼飯も、ちょっとした休憩も抜き。やな」

 そうすれば、多分六時くらいには予定を消化できるだろう。その後で連絡しよう。
 多分和葉も、なんだかんだで自分を待ってくれるのだから。
 平次はバイクを発進させた。取り敢えず、あの幼馴染の泣き顔なんて見たくない。
 今日も、暑くなりそうだった。











 夏が過ぎていく。
 相変わらず蒸し暑くて、太陽もむやみに意地を張っては地球温暖化を後押しするべく活躍しているし、
 当の地球もそこで過ごす人間のことなどどうでもいい、
 我関せず、といった立場を堅持しているようだった。

「なぁ、灰原」

 新一に呼び止められて、哀は振り返った。
 日差しを避けるためだろう、元の姿に戻ってから久しく見ることの無かった帽子を頭に乗せている新一の姿は、
 もう懐かしい、そう言えるほどに昔の、一人の少年の姿を連想させた。

「何?」

「いや―――――大したことじゃねーんだけどさ」

 どこか言い辛そうに、新一が言葉を濁す。
 何を言いよどんでいるのか理解できず、哀はわずかに首をかしげた。

「聞きたいことを整理してから声をかけてくれないかしら」

「あぁ――――そりゃそうなんだけど」

 しばし首をひねった新一が、意を決したようにこちらを見る。
 ふいに真剣になった表情に見入ってしまいそうになって、今度は哀が目を逸らした。

「お前と黒羽さ―――――なんかあった?」

「はぁ?」

 それは、どういう意味なのかしら―――――
 もし自分が想像したとおりの意味だったとしたらそれは心外なこと甚だしいし、
 そもそもそんな話題が新一の口から発せられたこと事態もかなり大きな謎だ。

「別に、変な意味じゃなくてさ」

 少しあわてた様子で新一が言い足して、

「ただ、ほら。最近打ち解けたなぁ、と思って」

「そうかしら――――気付かなかったわ」

 それに、勘違いだと思うわよ。誰があんな軽薄そうな人と打ち解けるのかしら。
 ついでに言えば度胸もないし、大体からして優柔不断なのよね。
 今回の一件だってよくよく考えれば彼が事態をややこしくした訳だし。

 などと言っていると、

「その辺が打ち解けた、ってことなんだけどな」

 という指摘。
 哀は黙り込むことに決めたが、その前に一つだけ言っておく。

「最低の患者だわ。迷惑ばかりかけるんだから」

 一週間ほど前の、満月の夜。
 怪盗キッドが久しぶりに世を騒がせたその翌日から、今日に至るまで快斗は病院の厄介になっている。
 三年前の傷は完治していたはずで、後は精神的な問題、ということだったのだが、
 あの間抜けな怪盗が鈍った身体で散々無茶をやらかしてくれたせいだろう。
 眩暈やらなにやらの症状が極端にひどくなったらしい。
 
 だがそれも、あと一週間ほどのことだ。
 今は入院患者の身だが、退院してからゆっくりと身体を鍛えなおせば、またあの怪盗は翼を取り戻すだろう。
 その稼業をいつまで続けるつもりなのかは知らないが。

「そういえばさ、怪盗キッドなんだけど」

 新一の言葉に、ドキリとする。
 もし快斗とキッドに関わることで何か聞かれたなら、自分は嘘をつかなければならないだろう。
 それはかなり心苦しいことだったし、ついでに言うならば極めて困難なことであった。
 その相手は誰あろう、工藤新一なのだ。

「怪盗キッドは――――俺にとっては、勝負の時に捕まえなきゃ意味が無い」

「――――どういう意味?」

「そのままの意味だよ。
 別に意味はないんだけど、一応言っとこうと思って」

 どうやら、杞憂だったようだ。
 恐らくこの新一の発言には、快斗にそう言っとけ、位の意図は含まれているのだろう。
 プライベートと仕事を分けるのは結構なのだが、さすがにそれは問題なのではないか――――
 などと、無粋なことは言わないことにする。

 病院に着くと、もう慣れてしまったルートを辿る。
 快斗の病室は、三回の一番端だ。
 やはり見慣れたドアを開けて、中に入る。

 同時に、「あれ?」と新一が呟くのが聞こえる。
 ここは、確かに黒羽快斗の病室だ。ドアのネームプレートにも、ちゃんとそう書いてあった。

「あの馬鹿―――――なにやってんだ」

「いいじゃない。そのうち戻ってくるわよ」

 意外にあっさりとそう言って、哀が病室に備え付けられた椅子に腰を下ろす。
 新一はため息をついた。だから、お前にそうやって理解を示されるとこっちは驚くんだよ。
 快斗の姿は、病室には無く。
 ついでに、全開に開け放たれた窓の脇で、カーテンが風にはためいていた。
 風の中には、ほんのわずかな。けれど確かな、秋の色。











 夏が過ぎていく。
 自分が好きだった、あの高校の屋上でも。
 彼女が好きだった、この場所でも。
 それは多分同じことなのだろう。ここの方が若干涼しい、という程度の違いはあるにしても。
 その涼しさの原因が山の上という立地条件と生い茂る木々に由来するのか、
 はたまた足元に眠っておられる方々の霊的能力の賜物であるのかは考えないことにした。
 墓地でめぐらせる空想としては、少々無礼な代物といえそうだった。

「あ、いた」

 聞きなれた声に振り向く。約束の時間を時計の針が示したところだった。
 そういえば、哀に書置きを残してくるのを忘れてしまった――――今頃、怒っていなければいいが。

「よう。久しぶり」

 快斗の言葉に、香澄が頷く。
 一時期はかなり不安定だった精神も、完全に調子を取り戻したようだった。
 もう大丈夫だろう。心の中で呟いて、快斗は頷く。

 もう自分は、必要な存在ではなくなったのだろう。
 全てを話した今となっては。

「ほら、ちゃんと拝んどけ」

 自分の傍らを指し示す。
 分かってるわよ、と言って、香澄はそのまま黙って手を合わせた。
 本人が自覚を持って真由美に会うのは、やはり三年ぶりということになる。

「――――お前の髪、プラチナに変わったりしないかな?」

「何。変わって欲しいの?」

 まさか。快斗はそう言ったが、それはそれで、少し見てみたい気もした――――
 それで髪を伸ばせば、恐らく真由美にそっくりな顔になるだろう。
 ついでに口を閉じていれば、多分誰にも気付かれない。

「お前の髪がその色で、俺はよかったと思っているんだよ」

 真由美は、あの時確かに言った――――これは、運命だと。

「真由美は、少しだけ間違えたんだ。でも、それが間違いでよかった」

「あら。私はお姉ちゃんが守ってくれたんだと思ってるんだど」

 この髪の色が変わらないように。
 後、その運命とかいうのに私が引っ張り込まれないように、とか。

「なるほど。その考え方は素敵だな」

「でしょ」

 香澄がポケットに手を入れて――――
 警戒したのだろう、辺りをキョロキョロと確認してから、ゆっくりと抜き出した。

「これ。返す」

 握られていたのは、不自然なほどに大きい――――宝石という名の石ころだった。
 月光に滲む蒼さも、太陽の下では別段不思議なところは無い。

「あたしには、いらないみたい。もう十分」

「―――――そうか」

「うん」

 逆らわずに、快斗はそれを受け取った。
 何故かひんやりと冷たい『月の涙』を、掌に転がしてみる。
 その蒼は、やはり今でも彼女の瞳を思い出させた。

「感謝してるよ――――おかげで、なんか吹っ切れたみたい」

 ひとつ伸びをして、香澄が言う。

「ちゃんと記憶が戻ったのも、ひょっとするとそいつのおかげかも。
 それに、とにかく生きていけそう――――そいつを眺めてるうちに、お姉ちゃんに慰められたみたい」

「―――――真由美に?」

 この石の中に真由美はいない。それは分かりきった事だった。
 けど、それが見えたように思うというなら、それは悪いことでもないだろう。
 自分がこの宝石をわざわざ持ち出したのだって、考えれば似たようなものだ。
 ただ。この色が彼女を思わせるのだ。

「これを作った宝石工ってのは、たぶん天才だな」

 一応、確認の意味も込めて太陽に宝石を翳してみる。
 突き抜けた光は、やはり綺麗な蒼に染まったけれど滲みはしなかった。

「ねぇ―――――聞きたいんだけど」

 しゃがみこんで、真由美の墓に触れながら。
 香澄はこちらを見ずに、そう言った。

「お姉ちゃんの瞳は、お兄ちゃんが探してたものだったの?」


 あの夜、覗き込んだ瞳は。

 確かに滲んでいた。


「さぁ―――――な。結局、確かめもしなかったか」


 けれど滲んだのは月の光にではなくて。

 貴方が、泣いていたから。


「そういうことにしといてよ」






 夏が過ぎていく。
 君を思い出す、夏が過ぎていく。
 それはどうしようもなくて。時間は止まらなくて。
 君と過ごした夏は過ぎて。
 君のいない夏は重なっていく。

 また一つ、君が昔に消える。

 けれど、僕は覚えています。
 君が隣にいた時間を。
 君の笑顔も、涙も、冷たいその指も。
 全部。

 百年の時が刻まれても。僕は忘れないから。

 だから。こんなものは、もういらない。



 軽く、手の中の石を放り上げる。
 それが落ちてくる前に。快斗は構えた。
 魔法を、一つ唱える――――――涙は、地に触れることなく、砕けて舞った。

 さよならを、また一つだけ呟く。

 通り過ぎた風が、また一つ秋を運んだ。


                                             Fin.

C.O.M.'s Novels