Episode1
―endless night 〜長い夜〜(3)―
「それで、彼女は今どうしてるの?」
今では住人が居なくなった― 新一1人には流石に広すぎたらしい―工藤邸。
新一の両親の分を除けば三つある鍵の内一つは新一本人が、
もう一つを蘭が、そして最後の一つを、今では哀が預かっていた。
本来は阿笠博士が持っていた物を哀が引き継いだらしい。その哀が鍵を開けながら、そんな事を聞いてきた。
「元気だよ、相変わらずね。」
快斗はそれに答えながら、門を閉める。重々しい音をたてて、以外と軽く門は動いた。
長らく人が住んで居なければ、すぐ錆び付きそうなものなのだが。
「・・・・・・明日、こっちに来る。」
どうやら哀はこの家にはかなり頻繁に出入りしているようだった。
手早く灯りを点けると、さっさと奥に入っていく。向かった先は台所らしい。
「コーヒーで良いかしら?」
「おっ、嬉しいね。ドクターのコーヒーが頂けるなんて。」
哀がコーヒー党だと言う事は、彼女と少しでも付き合えばすぐ分かる事だった。
なにしろ三十分に1回はカップを手にするほどなのだから、本当に誰でも分かる。
そんな彼女の淹れるコーヒーは、やはり美味い。やがて、何とも言えない柔らかい香りが漂ってきた。
余談だが、哀は今大学の医学部で週1回の講師と医師の仕事に着いていた。
もともとアメリカで大学を卒業している身なのだから、そういった意味では都合が良い。
ついでに言えば、彼女のコーヒー好きもアメリカでの生活の影響なのだろう。
哀は手際よく茶色の液体をカップに移すと、こちらに手渡した。一口飲む。
やはり、彼女ならではの格別の味だった。
「それで?彼女には何を、いつ話すの?あなたの、その・・・・・・・。」
カップを抱えながら、哀がわずかだが言葉を詰まらせる。どういうべきなのか、決めかねているのだろう。
だが、迷うほどの事でもない。彼女はもう一度言い直した。
「あなたの、妹さんには。」
黒羽 快斗の、妹。自分でもそのつもりでいたし、
何より彼女は何一つとして疑うことなく自分の妹として生活している。
彼女には、三年以上前の記憶が、何一つなかった。
喪失(なく)したのか、それとも捨てたのか、それは快斗には分からない事だったが。
(でも、何て言うんだろうね、これは。)
今、哀が言った妹、という言葉にひどく違和感を覚える。
全てを知っているはずの哀が、そんな言葉を使ったからだろうか?彼女は、自分の妹などではない。
「全部さ。彼女が望む事を、彼女が望む時に。」
彼女と暮らし始めてから、丁度三年になる。そして三日後は、彼女の誕生日だった。
毎年、快斗は前もってプレゼントのリクエストを受け、当日までにそれを用意する。それが決まりだった。
――お兄ちゃん、私に隠してる事、あるでしょう?
一月前、今年のプレゼントを聞いた快斗に彼女は突然そう言った。何の前触れもなく、突然に。
――兄妹だもの、それぐらい私にだってわかるわよ。
今年十五歳になる彼女の、あるいはそれは精一杯の強がりだったのかもしれない。
何も知らされないまま、三年が過ぎて―――
――私の誕生日が近づくといつもお兄ちゃん、悲しそうな顔するもの。
しかしその『何か』に確実に気付きながら過ごしてきた三年。きっとそれは、少女の胸には重すぎたのだろう。
彼女の瞳から涙が溢れ、頬を伝わり、音も立てずに落ちていく。快斗は何も言えずにいた。
――もし、それが私と関係がある事なんだったら――
彼女は、自分が思っているよりも、ずっと強く、そして繊細だった。強い意思と、儚い心を併せ持つ、自分の妹。
――全部、教えて欲しいな。
涙を拭おうとさえしないまま、彼女は自分を見つめていた。その瞳とみつめあう。限界なのかもしれなかった。
黒羽 香澄。三年前まではその名前を白木 香澄、といった。
そろそろ夏の長い日も沈もうかという頃、平次と和葉は毛利探偵事務所を尋ねている所だった。
生憎と毛利探偵は仕事の依頼があるらしく留守にしていたのだが、
そもそも連絡も無しにいきなり押しかけて相手が在宅していることを期待する方がおかしい。
蘭が居てくれただけでも運が良かった、と言うべきなのだろう。
その蘭は、和葉と何やら長い―かれこれ1時間になろうとしている―世間話に花を咲かせている真っ最中だった。
言うまでもなく話に加われない平次は所在なさげに毛利探偵の椅子に腰掛けて町を見下ろしていた。
そういえば江戸川コナンが姿を消した後、ここに事務所を構えるあの探偵はどうやって事件を解決しているのだろう。
そんな事をふと思いついたりもしたが、どうでもいいことだった。案外どうにでもなる、というものなのだろう。
「ねえ、服部君達は今日何処に泊まるの?」
一通り話終ったのか、それともいい加減話に加われない平次を可愛そうに思ったのか、蘭がこちらに笑顔を向けた。
「まだ決まってへん。でも多分、工藤の家になるやろな。」
それだけ答えて、ふと気にかかる。
そういえば今日は和葉と蘭の会話の中にいつも出てくる新一の名前がまだ一度も出ていなかったのではないか。
「そっか・・・。新一の家か。」
(やってもうた・・・・・・ちゅうことなんか?)
どうやらそうなのだろう。目に見えて元気をなくした蘭と、こちらを睨みつける和葉の視線に、
否応無しに気分が重くなる。こちらはこちらで毎度のごとく大変、とわけだ。
恐らくはまたあの推理一辺倒の探偵が理不尽に彼女を傷つけでもしたのだろう。
暗いムードのの中誰でも言葉を発することが出来ないまま、数分が経とうとした時、
救いの手を差し伸べるように―正直ありがたかった―平次の携帯が鳴った。
そんなに電話がかかって来るような付き合いはしていないのだが、どうやら今日は当たり目らしい。
携帯を取り出すと、登録したての『灰原 哀』の名前が液晶の中で踊っていた。
「もしもし?」
携帯を耳に当てる。彼女の声が響いてきた。
「服部君?今何処に居るの?」
到着が遅いので気に掛かったのだろう。毛利のオッサンのとこや、と平次は答えた。ついでに付け加える。
「オッサンはおらんみたいやけどな。」
「なら丁度良いわ、そこから近いから。今から場所を言うから、そこに行って。」
「へ?」
訳が分からない。だが彼女はそんなことはお構い無しに住所とその近所の建造物の配置を早口にまくしたてた。
東京の地理などまるで不案内な平次でもなんとなく行けそうな気がしてくるほど正確な言葉の羅列を、
平次お得意の記憶術―少なくとも平次はそう思っていた―で頭に刻む。
「分かったわね?じゃあそこに行って、工藤君を拾ってきてくれる?」
「ちょお待て。お前人をなんやと―――」
「どうせあなたの事だから今頃そこでは毛利さんが一人落ちこんでて重〜いムードなんでしょ?」
不平を述べようとして、叩き伏せられる。まるで隣で見ているかのような当たり具合だった。
「当たったみたいね。なら早く行ったら?」
なんで分かるんやろ―――。そこはかとなく理不尽さを感じながら一方的に切れた携帯をしまいこみ、
平次は和葉と蘭に用向きを告げる。和葉にはもう少しここで待ってもらうことにした。
バイクに3人乗るわけにも行かない。指定された場所はここから五分ほどの場所らしかった。
探偵事務所のドアを開け、階段をゆっくりと降りていき、メットを被り愛車のエンジンをかける。
そういえば新一に会うのは久しぶりだ。エンジンが温まるのを待ちきれずに、バイクが走り始める。
途中すれ違ったくわえタバコのちょび髭男が「あれ?お前は確か大阪の―――」
とかなんとか呟くのが聞こえた気がした。
Episode1(4)
C.O.M.'s Novels