Episode1
―endless night 〜長い夜〜(6)―


「でも、この状況を考えるとこれは他殺なんじゃないのかい?」

高木刑事が疑問の声をあげる。探偵の見せ所、とでもいうべきだろうか?新一は微笑み返した。

「では、一つずつ順を追って説明していきましょうか――――。
 まずは、今高木刑事が持っているそのティーカップから。」

―――結論から言えばそのティーカップに睡眠薬が入っていたとは考えられません。
その発言に高木刑事と佐藤刑事――そしてその場にいた刑事達が少なからず驚くのが分かった。
細やかに、そして正確に、冷静に。新一の言葉は続いていく。

「台所にあった食器乾燥機には、このティーカップしか入っていなかった。
 これはどう考えても不自然です。もし他殺であると仮定した場合、
 このティーカップは果たして誰が使ったものなのか?
 普通ならコーヒーなんてものは客に出すものであって、
 少なくとも客の目の前で自分一人が飲むようなシロモノじゃありませんよ。
 万が一そうであったとしても、そのカップを持っていたはずの純一さんに
 気づかれる事なくカップに睡眠薬を―――それも大量に入れるなんてことは不可能だ。」

なるほど――――という雰囲気がその場に流れるが、
高木刑事と佐藤警部は納得しきれない様子だった。疑問の声をあげる。

「でも、それだけじゃ根拠として弱いんじゃないかい?
 容疑者は皆純一さんと親しい人達だし、そういう事が無かったとは言えないんじゃないかな。」

「それに、それならどうしてここにティーカップがあったのか説明できないんじゃないかしら?」

さすがに、間違った指摘はしてこない。――やっぱりこれくらいの反論はないとな。
と妙な事――探偵らしさとは言えるかもしれない――を新一は考える。

「では、もう一つ。確かにそういったことが無かったとは言い切れません。
 しかし、そのカップにコーヒーが入っていなかった事は確かだ。
 ―――このサイフォンを見て、何か気付きませんでしたか?」

高木刑事がサイフォンを見て―――そして、カップに視線を戻す。

「いや、何か―――と言われても。」

「ホコリね。」

佐藤警部が発した言葉に、高木刑事が一瞬あっけに取られているのを見ながら、新一は頷いた。

「その通り。このカップにコーヒーが入れられたのならば、そのサイフォンが使われたはず。
 ならそんなにはホコリはたまりませんよ。
 ついでに言うなら、仮にそのサイフォンを使ったとすればそのサイフォンは使用後洗われた後、
 乾かされて更にその場所に戻された事になる。
 そこまでする犯人なら、ティーカップも片付けると思いませんか?」

「あ―――、なるほど。」

高木刑事がようやく頷く。続いて新一は、冷蔵庫を開いた。冷気が肌に当たる。

「次に、この冷蔵庫の中身。――――高木刑事は確か一人暮しですよね?」

うん、そうだけど。高木刑事が答えるが、何故聞かれているのかは分からないようだった。

「なら気付くはずですよ―――もっとも、一人暮しの方に限って、という事ではありませんが。
 この中身には、無くてはならないものが欠けている。」

言われて、高木刑事がしばし冷蔵庫の中身を探る。
だいぶてこずったようだが、徐々にその顔色が変っていくのが見えた。
高木刑事がこちらを振り向き、つぶやく。

「工藤君、まさかそれって・・・・・・。」

「――そう。使いかけの食材が、この中には何一つ残されてはいない。やはり不自然です。
 これだけ使いこまれたキッチンを見れば、
 純一さんが普段どれだけ料理をしていたかくらいは見当がつきます。
 しかしこの冷蔵庫を見る限り、一切手がつけられていないように見える。何故だと思います?」

「――――いったん純一さんが中身を全部捨てた後―――
 誰かが買ってきてこの中に入れた。ということ?」

佐藤警部が新一の結論に先回りする。新一はさらに付け加えた。

「そうです。―――最後に、なぜクーラーがついていたのか。
 自殺する前に冷蔵庫の中身を処分する人がそんなことをするとは、やはり考えにくい。」

新一がリビングに戻り、テーブルの上に紙を一枚置いた。さらにリモコンを手に取り、スイッチを入れる。
クーラーが風を起こし、そして巻き起こった風がふわり、と紙を飛ばした。

「かなり強い風だ。この分なら、テーブルの上にホコリが多少たまっていたとしても、
 すぐに吹き飛んでしまったでしょうね―――。」

佐藤警部と、高木刑事。二人の方に向き直り、また新一は微笑んだ。

「テーブルには遺書が置かれていたんでしょう。そしてそれを取った人物は、ホコリの跡が残ることに気がついた。」

最後の言葉を紡ぎ出す。探偵の時間が終ろうとしていた。

「離婚直前。遺書。自殺。とくれば・・・・奥さんには保険金は降りないでしょうね。」


新一が現場を離れたのはそれから5分後の事。
別にこの後行われるだろう様々な調査に興味があるわけではない。
後は警察の仕事だ、というのがここ数年の工藤 新一のスタイルだった。
その変化の直後はやはり目暮警部達も不思議に思ったようだが、今では気にする者もいない。
ではこれで。そう挨拶すると、誰にも引きとめられる事もないまま、新一は宗田 純一の家を出た。
家まで、歩いて20分ほどだろうか。
三年前から移った米花町郊外のマンションまでの道のりを頭に浮かべる。

「よお、工藤!もう終わったんか?」

唐突に――そう呼びとめられた時は、まだ10歩も歩いていなかっただろう。
聞きなれた関西弁に振り返る。

「服部・・・・・・?」

多少の驚きを新一は隠す事が出来なかった。
確かに目の前にいる相手は服部 平次、まさしくその人である。
この関西人は連絡一つよこさずに訪ねてくるようなことは毎度の事であったし、
まさしく何処にでもいる、とでも形容できそうな人物なのだが、
まさかこの場所がわかるはずもなかった。

「久しぶりやな。どうや?元気にしとるか?」

いつもの人懐っこい笑顔で、平次が定型通りの挨拶をしてくる。
が、それを無視して新一は口を開いた。疑問は早めに解決する―――新一らしい癖だ。
平次も慣れたことなので別に気にしなかった。

「――――どうやってここまで来たんだ。なんでこの場所がわかった?」

尋ねる。平次はおよ、と首をかしげてから、

「灰原に聞いてへんのか?お前を乗っけて工藤の家―――
 あ、阿笠のジーさんの隣の方やけど――まで来い、って言われたんやけどな。」

「いや。聞いてねえけど・・・。」

多少戸惑い、新一もまた首をかしげる。
哀が平次と連絡を取っていると言う事すら、新一は知らなかった。
――まぁ、乗れや。行ったら分かるやろ。――そう言って平次がヘルメットを投げる。
それをキャッチしながら、新一はもう一つ尋ねた。

「・・・・・・何かあったのか?」

少々大きいヘルメットを被る。まぁ脱げはしないだろうが。
一方平次は、少し返答に悩んだようだったがやがて――

「まあ、な。――――白木の事で、ちょっと、なんかあったらしいわ。」

とそれだけ答えた。後は俺もようわからん。と付け加えてくる。

「―――――――そうか。」

それは、新一にとってもあまり触れたい話題ではないのだろう。
そのまま何も言わず、新一はバイクの後ろに乗った。

「こうやってお前乗せるんも、随分ひさしぶりやないか?」

少し懐かしげに、平次が言う。

「どうだろうな?ま、とにかく―――俺を乗せて走んだからな。」

新一は平次のメットを軽くこづいた。

「飛ばせよ。―――――目一杯にな。」

へいへい、と答えると平次は思いきりアクセルをかけた。


「全く――――何で私があなたなんかに慰められなくちゃならないのかしら――――。」

納得できないわ。と哀が不平を漏らす。さっきよりは幾分落ちついた様子だった。
一安心というところだろうか。

「ずいぶんと―――ひどい言いぐさだね。」

苦笑いを浮かべながら、快斗は台所で先ほどのコーヒーカップを片付けていた。
まぁそれだけいつもの哀にもどったと言う事だろう。
多少照れくさいのか、普段よりも幾分言葉のトゲがきついような気もするが。

(ま、なんにせよ悪い事じゃないか―――。)

正直、ほっとしていたところだった。随分とまずい事を聞いてしまったが、
取り敢えずは彼女も悪くはとらずにいてくれるらしい。

「―――随分機嫌が良いのね?」

気がつけば、鼻歌を歌っていた。――――何が面白いのか知らないけど。と哀が尋ねてくる。

「ああ―――。この歌、知ってる?」

「?いいえ―――知らないわ。有名な歌なの?」

聞いた事が無いけど。彼女は少し考えてそう答えた。

「そう?じゃあ、もう一度歌ってあげるよ。」

快斗の申し出に、別に良いけど。と哀が答える。
彼女の場合、これは遠慮でなく却下なのだが―――快斗は構わず歌い始めた。

 ――― そっと手を重ねて 「愛しているよ」と囁いて
 嘘で構わないから それでも 貴方が好きだから

 もし、この日々が夢だったのなら
 覚めなければ良かったのに・・・・

 そっと瞳を閉じて 「傍にいるよ」と囁いて
 嘘と知っているから それでも 貴方を想うから

 もし、私が消えていくなら
 涙してくれれば良いのに・・・・

          痛みでもいい 生きている事の証が欲しい

 そっと手を繋いで 「忘れない」なんて言わないで
 傷つくだけ 分かってるから それでも 貴方といたいから

 そっと手を重ねて 「愛しているよ」と囁いて
 嘘で構わないから それでも 貴方が好きだから

 「愛しているよ」と囁いて
 それでも 貴方が好きだから  ―――


「で―――――その歌がどうかしたの?」

歌い終わって―――半ば呆れながらだが、どうやら最後まで聞いていてくれたらしい。
哀が聞いてくる。かなり煩わしそうではあった。
事務的に、とでも言った方が良さそうな聞き方だ。同じような口調で、快斗が答える。

「―――――真由美が作った歌なんだ。」

その言葉に―――哀の表情が変ったのがはっきりと分かった。言葉を続ける。

「彼女が死ぬ―――2週間くらい前かな?教えてもらったんだ。」

「そう――――。」

彼女、優秀なピアニストだったって聞いたけど。哀が聞くとも無しに呟く。
自分が作った歌に、歌詞をつけて教えてくれたらしい、と快斗は答えた。

「それで―――実はこの歌――――、香澄にも教えたんだ。」

哀は、やはり何も答えてこなかった。どう答えるべきか、迷ったのかもしれない。

「やっぱり、姉妹なんだな。―――――アイツもピアノやってんだけど、
 信じられないくらいに上手いよ。真由美と一緒だ。」

なにもそこまで似てくんなくても良いのにさ――――。
気付かない間に、涙が頬を伝った。拭いはしない。そのまま、快斗は言葉を紡ぐ。

「教えなきゃ良かったよ。アイツ声どころか、歌い方まで真由美にそっくりでさ――――」

――――本当に、真由美みたいに―――。
その先は言えなかった。哀も、何も語ろうとはしない。
時計の針が、12時を指した。そろそろ、新一と平次も帰ってくるだろう。
そして―――今日、自分は真実を語らなければならない。彼女の妹に。
Episode1(7)
C.O.M.'s Novels