Episode1
―endless night 〜長い夜〜(7)―
「――――まぁ、こんなもんとちゃうか?」
「何処が『こんなもん』、なんだよ!オメー信号の見方知らねーのか!?」
現場から、ここ工藤邸まで―――大体4キロ程の距離だろうか。
決してバイクにとって長い距離、という訳ではないが、それでもこの街中を―――
いくら夜も遅いとは言っても3分と03秒というタイムで走ってしまえば普通それは暴走と呼ばれるものだ。
「なんや?3分切った方がよかったんか?」
新一の指摘も当たり前なのだが、この運転手はそういった感覚はほぼ完全に無いらしい。
悪びれもせずに朗らかな様子で尋ねてくる。
新一はメットを外した平次の頭に拳を――それもかなりの深さでめり込ませた。
「逆だ、バーロォ!!日本の公道は制限速度80キロにはできてねー!!」
あぐ。とあまり冗談でも無さそうな呻き声を発して平次がうずくまるのを見ながら、ため息をつく。
実際には80キロ所のスピードではなかっただろうが――。
「そやかて・・・・・・飛ばせ、言うたのはオマエの方やないか――――。」
涙目になりながら反論してくる平次に、新一は静かに切り返した。
「覚えとけ、服部。世の中には限度ってもんがあんだよ。」
そんなアホな――――となお平次は食い下がろうとしたが、その時には新一はもう平次の方など見ていなかった。
かなりの怒気がこもった声で言い放つ。
「とにかく!オマエが運転するバイクにはもう二度と乗らねえから―――――――」
そこで、声が止まる。おそるおそる平次が見上げると、新一の目線がかなり遠くを見ていることが分かった。
平次もそちらを見やると、二人こちらに向かって歩いてきている人影が見える。
辺りが暗いため良く分からないが、近づくに連れ、その輪郭がハッキリしてきた。
「――――蘭――?」
新一が多分に驚きを交えた声で――呟く。見えたのは、確かに蘭と、和葉だった。その距離は10メートル。
それが、少しずつ縮まっていき―――やがて、0になる。
「―――新一―――。」
呼ばれた事に応える、と言うわけでもなく―――蘭が呟きを返す。
平次は蘭の隣にいる和葉に目配せした―――事情を説明しろ、という合図である。
和葉がこちらに向かってこくん、と小さく頷き、話し始める。
「平次があんまり遅いもんやから―――蘭ちゃんにここまで送ってもろたんやけど―――。
ウチ、道わからへんかったし。」
あ、これ。平次の荷物。和葉が担いでいた平次愛用のバッグを地面におろす。
それから訪れたのは、長い沈黙だった――――。それも、平次と和葉には、極めて気まずい物だ。
あるいはもしかすると新一と蘭の方が苦しかったのかも知れないが。
「久しぶりだな。―――元気にしてるか?」
ようやく口をついて出たのは、月並みな挨拶だった。
新一にも、あるいはもっと伝えたいことがあったのかもしれない。だが、それも口に出さなければ同じ事だ。
「わざわざ俺の客送らせて―――悪かったな。」
「ううん。別に、そんなの―――――。」
ひょっとすると、この二人が会うのは本当に久しぶりなのではないか――――と唐突に平次は思った。
上手く言えないが―――随分とよそよそしい。またしばし沈黙が流れるが、今度のそれはそれほどには長くない。
蘭が口を開く。
「じゃ、―――私、帰るね?」
蘭が、新一に告げる。それは恐らくは引きとめる事を期待していたのだろう、と思えた。
傍で見ている平次たちにそれがわかるほど、はっきりと。だが、新一は至極冷淡な声で――
「ああ。」
とだけ答えた。平次の目に目を円く―――本当に目を円くした和葉の顔が映る。
「―――――うん。それじゃ―――――」
やはり、傍目にもはっきりと分かるほど落胆して―――蘭がもと来た道をたどり始める。
そちらを見ようともせずには門の鍵を開け始めた新一に背を向け、蘭が少し歩き―――立ち止まり、振りかえった。
か細い声で、告げようとする。
「新一――あのね?私――――――――」
それは、彼女が必死で伝えようとした想いだったに違いない。
言葉にはならなかったかもしれないが、それでも尊い、そんな気持ち。
そしてそれを―――何故か、新一は遮った。
「もう夜も遅いんだ。気をつけて帰れよ。
後――――いくら夏、つっても夜中は冷えんだから、なんか羽織った方がいい。」
気付かない間に。本当に誰もが気付かない間に。人の心は、移ろっていく。
それを認めたくはない。平次は二人の間に漂う空気に、そう思った。
「――――――――うん―――――――。」
小さく―――蘭が答える。彼女は泣いていたのかもしれない。
だが暗闇の中、平次にそれを知ることは出来なかった。
「―――工藤、おまえどないしたんや?
あのねーちゃんが何言いたかったかくらい分からんおまえやないやろ。」
新一が玄関の鍵を取り出し、鍵穴にさしこむ。その答えが返ってきたのは、鍵が開いてからだった。
ドアを開け二人を招き入れながら、ぼそりと呟く。
「・・・・・・・・別に。どうだって良いだろ?」
「―――――どうでもいい、やと?」
――おまえそれ、本気で言うとるんか?――声に感情が混じるのが分かる。
言いようのない感情が渦巻くのが分かった。それに対して、新一の声は冷淡そのものだった。
一切の感情を交えず、それこそ他人事の様に言ってくる。
「ああ。――――どうでもいい。蘭の奴がどう思ってるかは知らないけどな。」
「――――――――工藤オッ――――!!」
―――その言葉が発せられた瞬間――――それを聞いた瞬間に、平次の中で何かが切れた。
激情にまかせて新一のむなぐらを掴みあげ、
その勢いのまま壁に新一を――半ば投げつけるようにして、押し当てる。
よほどの力だったのか、新一が僅かながら苦悶の声をあげた。
「もう一遍言ってみろや!!『どうでもいい』、やと?ふざけんのも大概にせぇ!!」
尋常でない怒鳴り声だった。
聞こえたのだろう、リビングにいたらしい快斗と哀が慌てた様子で玄関に顔を出す。
「おまえはそれで良いかもしれんけどなぁ、
おまえが『死んでも帰ってくるから待っててくれ』、ちゅうたあのねーちゃんはどうなるんや!?
待っとってくれたんやぞ?約束通りに!碌に事情も説明してへん、このおまえをや!!」
人差し指を新一の眉間に突き付ける。新一は何も答えず目を一度閉じただけだった。
納まらない感情が、なお平次を後押しする。
「答えろや、工藤!!おまえ、約束した筈やないんか!?―――――答えろや!!」
答えない新一を、もう一度思いきり壁にぶち当て、手を離す。
そのまま新一はくず折れた。それと同時に快斗が平次に、哀が新一に駆け寄った。
それでも納まらず、一歩踏み出そうとした平次の肩に、手がかかる。
「服部、おまえちょっとやりすぎだぞ?」
少しは落ちついたらどうなんだ―――。言われて、平次が振りかえる。
そこには、何時になく真剣な眼差しの快斗がいた。つい、そのまま睨み合う形になってしまう。
「―――――ちょっと工藤君、大丈夫?」
言いながら駆け寄った哀を新一は手で制し、大丈夫だ、と告げたが、その表情からすれば多少痛むようだった。
数分もすれば楽になるだろうが。
「――――服部。・・・・俺も、おまえと一緒だよ。」
―――――俺も、彼女を救えなかった。新一がゆっくりと首を振り、頭を抱える。
嘆くように、許しを乞う様に。―――それは、今まで見たこともない新一の姿だった。
「俺は、まだ償い終わってない―――――そしてこれからも償えない。
その俺が、どんな顔して蘭に会えって言うんだ――――?」
重い沈黙が流れる。―――――つまるところ、ここにいる全員がそうなのだ。今更のように、平次はそう理解した。
自分も、快斗も、哀も。そして新一も―――――三年前から、動けないでいる。
凍った時間の流れの中に漂う。
(なんで―――こんなことになったんや?)
強く唇を噛み締める。と、その平次の前をつい、と和葉が通った。
そのまま座りこんでいる新一の前まで行き、頭にぽん、と手を乗せた。その体勢のまま、囁く。
「工藤君?よぉ聞きいや。余計な事やけど――――蘭ちゃん、泣いてたで?」
あんたはどうでもいいって言ったけど――――蘭ちゃん、泣いてるんやで?
――何気なく、小さな子供にでも言い聞かせるかのように和葉が囁く。
ぽんぽんと新一の頭を二度三度と叩いた。新一が僅かに震える。
「気付かんかったん?アタシは工藤君が何をそんなに悩んでるんかしらんけど――――
蘭ちゃんはなんの関係もあらへんのとちゃうのん?」
―――なんで、それやのに蘭ちゃんが泣かなアカンの――――?
ぽんぽん。頭を叩かれる新一の目の前を、涙が一滴、落ちていく。
「平次は―――また、探偵やるんやて。危なっかしゅうてホンマにかなわんけど――――」
ウチ、嬉しいで――――?涙は拭わないまま、和葉が笑う。心の底からそれを喜ぶように。
哀しい笑顔だと平次は思う――そしてそれは自分が彼女を傷つけていた、その証拠である事も知っていた。
「きっと、何も教えてもらえへんほど辛いこと、ないんよ――――。」
和葉が泣き崩れる。だが、誰も動く事ができなかった。
彼女は何も知らない――知ることで汚れてはいない。
狂おしいほどに愛しい穢れないままの感情。誰もが憧れ、そして失っていくもの。
和葉の涙はそれだった―――誰も言葉を発することが出来ない。
「そやから――ウチが工藤君に言わなアカンねん。蘭ちゃんの代わりに伝えてあげたい――わからんかな?」
涙で掠れて、途切れ途切れの言葉。それなのに胸に刺さるのは何故なのだろうか、と平次は思う。
「辛いだけなんて、寂しいやんか―――。」
夜が、更けていこうとしていた―――。
長い夜になる。
何故かそれだけを平次は思った。
Episode2(1)
C.O.M.'s Novels