Prologu
―heaven's hill 〜氷の丘〜―
―忘れられない、唄がある―
幼い頃から、住み慣れたこの町。その中でも一際小高い丘―ここがどういった場所なのか、
それがわかったのはいつだったか―ここに、彼女は眠っている。
誰よりもこの場所を愛し、またここに眠る事を望んだ、彼女が。そして今では自分もそうかもしれない。
秋、と言うにはまだ少し早い、けれど充分に涼気を帯びた風が、遠く海から運ばれてくる。
風を受けとめながら坂を登っていく。生い茂る木々が風のざわめきを伝え、
その影を地面に落としていたそのことにふと心がやすらぐ。ここは、まだ汚されてはいない。
程なく坂を登り終え、立ち止まる。
振りかえれば町を見渡すことができ、更に遥か遠く、水平線の輝きが見えた。
そして前に向き直ると、そこにはかって人が生きた証―墓標が整然と並んでいた。
墓石も決して少ない訳ではないが、ふもとの教会の物なのだろう、十字架が多いようだった。
しかしそれは、降り注ぐ太陽の光と、風に踊る木々。そしてこの丘中に広がる草の香りの中ではひどく浮いて見えた。
何か一つ、死という言葉のなかにある、その響きがすっぽりと抜け落ちてしまうかのような――。
そこまで考えて、また歩き始める。そう、だからこそ彼女はこの場所を愛していたのだろう。
絶望からわずかながらでも逃れられる、この場所が彼女には救いだった。
最も町から遠い場所―そこには名前も知らない、
ただずっと以前からそこにあったのだろう、他よりも一回り大きい木が植わっている。
彼女の一番のお気に入りだったその根元に、彼女は眠ったままだ。
緑に包まれたその墓標はむしろ記念碑のようにも見えた。彼女が生きたこと。そしてその生を終えたこと。
―――自分と、出会ったこと。思わずため息が漏れる。どうも記念できるほど明るい物はありそうもなかった。
彼女の木の、丁度こちらから見て裏側に一人、自分を待っていたのだろう。珍しく、自分から声をかけてくる。
「久しぶりね。・・・一年ぶりかしら?連絡をもらった時はおどろいたわよ。」
そこにいたのは、率直に言えばかなりの美人だった。
自分より頭一つほど低い、赤みがかった茶色の髪。ととのった顔立ち。
そして少し冷たい、けれどその奥に何かを捕らえて放さない瞳。
灰原 哀。会うのは一年ぶりだが、彼女はあまり変わってはいなかった。
彼女が元の身体に戻ってからは数えるほどしか会っていないから、良く分からないというのもあったが。
「久しぶり。・・・相変わらずだね、愛想の無さは。」
大きなお世話よ、とでも言いたげに彼女は少し笑った。
場所柄に会わせてだろう、黒いスーツが良く似合っていた。
対して自分はいつも通りのラフな格好であることに、多少引け目を感じないでも無い。
「名探偵達と会う時に、一緒に来れば良いのにさ。
誘われてるのを毎度毎度断っといて、『連絡もらって驚いた』は酷いんじゃない?」
冗談交じりに、日頃の不満をそれとなく訴えたのだが、彼女の反応はいつも通り、にべもない。
「探偵と泥棒が仲良く談笑する姿なんて、見てもしょうがないでしょ?」
「『怪盗』、ですよ、お嬢さん。」
すかさず訂正する。ただ、今は黒羽 快斗だけど。と付け加える。
東の名探偵こと工藤 新一。そして西の名探偵服部 平次。
二人と友人として付き合うようになってから、既にかなりの時が経とうとしていた。
二人は何も言わない。恐らく自分がただの学生じゃない事ぐらいはとっくの昔に気付いているのだろうが。
けれど二人は何も言おうとはしなかった。彼等なりの友情なのだろう、そういったものは嫌いではなかった。
「じゃあ、怪盗さん。一つ聞くわ。」
哀の言葉に、にわかに真剣さが加わる。それは簡潔な一言だった。
哀らしいとも言えるし、逆にそうでないとも言えるような一言。
「あなた・・・・・本気なの?」
そしてそれは、今日ここに来る事を彼女に告げてから、毎日のように―実際毎日聞かされた問いだった。
あぁ、と頷く。哀の疑問はもっともだった。自分でも思う事があった。自分は本当に正気なのかと。
だが長く深い迷いの中、それでも結論が変わることはない。
「アイツがそれを望んでる。」
ふと墓標を見やる。ここに眠る人に最も近く、そして決定的に違う人。
「伝えるのが、僕の義務だ。」
義務。胸の中で繰り返して、苦笑する。それは罰だった。三年前、何もできなかった自分が背負う罰。
恐らくは生涯をかけて償わなければならない。
「それは逃げる事じゃない、と彼女に誓えるかしら?」
哀も多分自分と同じに、ためらっているのだ。
彼女は自分の罪と罰を、恐らく誰よりも近い場所で理解しているのだろう。
哀の中にもまた、その死の時まで拭さられる事の無い、罪が潜んでいるのだから。
――あの時、彼女が何を望んでいたのか、今となっては知る由も無い。
もう永遠に言葉を紡ぐ事も無い、彼女が望んだ事。
―自分は誓えるだろうか?自分に未来を託した彼女に、間違わないと。守りつづけると。信じて、いいのだと。
(俺に誓う資格なんて無い。俺はあの時彼女に、『愛している』とすら言えなかった―)
墓標に触れる。何かを求めるように。だが、彼女は教えてはくれなかった。
「真由美――俺は、どうしたらいい?」
そっとつぶやく。出来る事なら、投げ出してしまいたかった。何故あの時、彼女と言葉を交わせなかったのか。
彼女は永久に眠り続ける。
触れた指先に滲んだものは、冷たい死の感覚だった。
Episode1(1)へつづく
C.O.M.'s Novels