Episode2
―secret heart 〜秘めた言葉〜(10)―

「―――あ―――えっと―――。」

快斗が思わず口篭もる。てっきり真由美だと思っていたそこに立っていたのは、11〜12歳位の少女だった。
わりあい小柄で、全体にスラっとした印象。
つやのある綺麗な髪が、肩の上あたりで短く切りそろえられている。
よく似合っており、それがいかにも身軽そうな雰囲気を放っている。

「もしかして―――君、真由美・・・さんの妹サンかな?」

そう思いついたのは、その少女の瞳が蒼かったせいだろう。
そう思って見ると似ているが、姉妹だとすぐに気付くほど似てもいない。少女は頷いた。

「お姉ちゃんのお客さん?」

そういって聞き返されて、快斗と青子が目を見合わせる。
前もって連絡もしていないが、別にそういうことで構わないだろう。

「まぁ―――そんなトコだよ。お姉ちゃんはいるかい?」

「うん。でもまだ寝てるかも。」

「――――――寝てる?」

そういえば、この前も彼女は寝ていたように思う―――
もしかすると体調でも崩しているのか、と快斗は思った。
少女はこちらの事などどうでも良いかのように、わむ太に手を振っている。

「そうか―――案内してもらって、構わないかな?」

「いいよ。でももし寝てたら怒るかも。」

言って、彼女が踵を返す。わむ太が青子の肩から飛び降り、その後に従った。
どうやら彼女がわむ太の『主人』、という事らしい。

(そうか―――わむ太の名前を付けたのは、この子なんだな―――)

思いついて、また考える。

(じゃあ、なんで彼女は話したがらなかったんだ?嫌がるような事じゃ無さそうなもんだけど――――――)

「ねぇ、君、名前は?」

一応、というくらいの気持ちで快斗が尋ねる。彼女は振り返らずに答えた。

「香澄。お兄ちゃん達は?」

「黒羽 快斗。あっちは中森 青子だ。」

聞き返したのもなんとなく、という程度だったのだろう。香澄は興味がない、といった様子で頷いた。

「ふ〜ん―――。」

後は誰も話し出す事も無いまま、2、3分歩いた。やはり豪勢な前庭をぬけて、ようやく玄関につく。

「入って、そこで待ってて。お姉ちゃんの様子、見てくるから。」

とたとたと、彼女が階段を登る音。予想通り、と言うべきだろう。軽快に、素早く彼女は2階に消えていった。

「なんか―――随分活発そうな妹さんね。」

「そうだな。――――――あんまり姉妹って感じがしないのはそのせいかな?」

「そう?私は似てると思うけど。」

「そうかな――――――。」

言われるとあまり自身がないのだが、彼女と姉―――香澄と真由美、
二人の間に共通点が上手く見出せなかった。容姿について言うなら、分からなくはない。
だが『姉妹』、という間柄だからこそ持っていそうな癖や仕草―――そんなものが無いように思えた。
そんなことを少し考えて―――二分程経った頃、先程の軽快な音が2階から近づいて来る。

「上がっていいよ。でも、もう少し待ってて。お姉ちゃん、今起きたトコだからさ。」

階段の踊り場にひょっこりと顔を出して、少し遠いが香澄が言ってよこした。

「あぁ―――ありがとう。」

「おじゃましま〜す!」

靴を脱いで、2階に上がっていく。香澄は二人を応接間―――
というより『応接ホール』とでも呼べそうな代物だったが―――に通してれた。
以前真由美の部屋に侵入したが、恐らくそれよりも広いだろうと思えた。

「ごめんね、ここで待ってて。」

香澄が告げるが、二人にはちょっと聞こえない。まさしく『目が点』といった様子だった。快斗が溜息をつく。

「なぁ。―――この家には幾つこんな部屋があるんだ?」

驚きのせいか、つい地が出てしまう。彼女は笑って答えた。

「応接間は二つ。でも大食堂はもっと広いよ?」

「ふえぇ―――。」

すぐ横で、気の抜けたような声を青子が出す。快斗もそれぐらいはしたい気分だった。
だがそれにしても―――これだけ広い屋敷の中で、他の人を一切見かけないのは一体どういう事なのだろうか。
普通なら執事なりメイドなり、それなりの数が居そうな物なのだが。

「じゃ、お姉ちゃん呼んでくるから。」

そう言ってもう一度香澄が扉の向こうに消え―――3分ほどだろうか、真由美が姿を見せた。

「―――お久しぶりです。」

そう言って、真由美は丁寧に頭を下げた―――どうやら青子に遠慮しているのか、
快斗に見せたような対応はしないつもりらしい。
瞳の蒼も、先日のような落ち着きはなかった。青子と快斗が会釈を返す。

「こんにちは、真由美ちゃん。体調はもう良いの?」

「ええ。―――おかげさまで。」

他愛の無い世間話を青子と真由美は始めるが、
もとよりこの二人に共通する話題がそう多い訳も無く、30分も経つ頃には会話が途切れてしまった。
というよりも、青子は色々と話したそうなのだが肝心の真由美が乗ってこないのだ。
快斗も真由美の様子が以前と違う違和感からか、上手く会話に乗れない。
そうこうしているうちに青子の携帯が鳴った。中森警部からのメールらしい。

「あちゃ。」

青子が顔をしかめた。

「事件解決したから、早く家に帰るって。あたしももう帰らなきゃ・・・。」

―――快斗はどうする?そう尋ねた彼女に、

「もうちょっとここに居る。早く帰った方がいいぞ?」

快斗は答えた。

「うん、まぁそうなんだけど―――。」

そう言った彼女の顔は、快斗一人残して大丈夫だろうか、とでも言いたそうな保護者のそれだ。

「いいから。帰れって。」

「―――うん。それじゃまた。」

青子は真由美の方に向き直って、頭を下げた。

「ごめんなさい。勝手に尋ねておいて、こんな慌しく帰っちゃって。」

「別にいいですよ。―――気をつけて帰ってくださいね。」

そう言って青子を見送って。やはり、と言うべきか―――真由美が表情を変えた。もう快斗も驚きはしない。

「う〜ん―――俺はどっちかって言うと、今の顔の方が好きかな。」

そんことを呟いて見せる。

「別に、好かれたいとも思わないけど。今日は何の用なのかしら?
 まさか、あの子と一緒でお見舞いに、とは言わないでしょう?」

そうだな――――――。快斗は少し考えて、口に出した。

「―――君は、窮屈そうだな。って思ってさ。」

――――――窮屈?そう言って、彼女が首を傾げる。

「どう言う事かしら。」

「その通りだよ。こんなだだっ広い家に、妹さんと二人だけで―――多分そうなんだろ?
 ―――暮らして、他との交流はほぼ一切拒絶してる。
 何のつもりでそうしてるのか、望んでしてるのかどうかは知らないけど。」

溜息をついて見せた。そう―――多分自分なら。

「多分俺がそうだったとしたら、堪えられそうにない。」

「家族が他にいないもの。おかしくは無いと思うけど。」

彼女が言う。だがその目は何か違うものを見つめていた。
その心は、何か違う場所にあるかのように。彼女が次の言葉を刻む。

「ねえ。あなたは―――呪いというものを、信じる?」

それは、突拍子もない言葉に思えた。たとえ彼女のその声がどれだけ真剣であっても、
普段の快斗ならまともに受け取りはしなかっただろう。
だが、心の何処かが告げていた。―――聞け。これは真実だ。そんな風に。

「呪い?」

「そう。私は呪われているの―――私も知らない、運命だかなんだか、そんなものに。」

「―――運命。」

「だから私は―――こうして孤独を選ぶしかないの。」

「なんだ―――そんな事か。」

その言葉に、真由美は心証を害したらしい。だが構わずに、快斗は続けた。

「言わせて貰えるなら、だけどね。―――何かを信じる事と、疑う事。どっちが難しいと思う?」

彼女は何が言いたいのか良く分からない、とでも言うように眉をひそめた。
やはりそれにも構わず、言葉を繋ぐ。

「信じること。―――そう答える人が多い。多分ね。」

「――――――私に、分かる事なんてない。望み通りになる事だって、一つもない。
 敢えて言うなら―――私は、何も信じられない。」

向かい合わせにソファに座った二人の距離は1メートル位。それが遠ざかるのか近づくのか―――

「そうかな?僕に言わせれば、本当の意味で『疑い切れる』人間なんて、
 今までも―――そしてこれからも、永遠にいないんじゃないかって気がする。」

彼女が積極的に聞いてくれるとはあまり思わなかったが、取り敢えず聞くだけは聞いてくれるらしい。
ソファから立ちあがらないまま、彼女は聞いていた。

「人は自分が生きている事を疑えない。疑う気にすらなれない。そんな事は当たり前だって、そう信じてる。
 同じように―――神って存在が、実在するのかしないのか―――それは知らない。
 けど存在しないって言い切れる人間なんて、やっぱり居ないんじゃないかな?」

「当然じゃない。証拠がないもの。」

「そう、証拠は何もない。けど―――実在するって証拠もない。
 なのに人はそれを疑えない―――多分信じるほうが―――信じてしまう方が、楽だからだ。」

自分が何を言いたいのか―――彼女はそれに気付いただろう。
何故か確信して、彼女を見ている。瞳の色は同じ蒼―――でも何処かが違う。

「信じられないって、君は言った。」

―――それって、悲しい事なんだよ?分かってて君は言ってるのか?

「でも。信じるって、そう言う事じゃない。
 本当に信じてるなら『信じてる』なんて言って確認する必要なんかないはずなんだ。
 疑えないって事が信じることだとしたら、人は自分が信じてることは知覚出来ないだろう。
 ―――ただ当たり前だと思うだけだ。」

―――僕は、君の心を叩くよ?閉ざされたままじゃ、扉はいつか錆びついてしまうから。

「だから―――『信じられない』って言葉には―――もしかしたら信じられるかもしれない。
 そんな思いが篭ってるはずなんだ。無理に言葉にして、自分の心を誤魔化すだけの呪文に過ぎない。」

―――君の瞳が孤独の色に染まるのを、ただ見てるのは辛いから。

「私は―――。」

彼女が呟く。続きは言えない。言わせたくない。

「僕は、君を信じてる。―――君は孤独の中に逃げこむような人じゃない。そう信じてる。」

だから。

「君も、信じていいんだ。」

「私は―――。」

もう一度、彼女が呟く。快斗は目を伏せて、立ちあがった。

「もう、行くよ。――――――君が望むなら、二度来ない。」

―――僕は、君の涙なんて見たくはないから。

「『信じる』って―――何?」

扉を開いた快斗の背中に、震える声が届く。

「さあね。」

溜息をついて。

「誰も分かる奴なんていないさ。でも多分―――それを知ってしまったら、
 誰も信じるなんて馬鹿な真似は出来なくなるんじゃないかな?」

扉を閉めた。―――それでも彼女の鳴き声が耳に届く。
振り返る事もせずに。快斗は歩き出した。
Episode2(11)
C.O.M.'s Novels