Episode2
―secret heart 〜秘めた言葉〜(12)―

『―――夏休みだからと言って気を抜かず、この時期こそ勉強に励むよう―――』

なんだって、終業式に校長が話す事というのは変わり映えしないのだろう。
そんな事が言いたいだけならば、なにもわざわざこの暑い最中に密閉された体育館に
全校生徒をスシヅメにするなどという暴挙に及ぶ必要もないだろうに―――そんな事を考えながら、

「まぁ、俺が言えた義理じゃないよな―――。」

ぽつりと呟く。結局、快斗は屋上から移動していないが、マイクを通している為、
ここにいても体育館で何が話されているかくらいは知る事が出来た。
なら行く必要もないだろう、などと乱暴に判断しながら。手すりに身体を預けて空を眺めていた。
―――今年の夏は、猛暑になる―――。そんな話をよく耳にするが、本当なのかどうか。
去年の暑さなどとっくに忘れてしまっているし、数字で示されたところでピンとは来ない。
下手をするとエアコンの出荷台数を吊り上げるための陰謀なのでは―――などとも思う。
まさかそんなこともないだろうが。

(そうだな―――今年は『月の涙』だけいただいたら、しばらくのんびりしてみるのもイイかもな―――。)

風が、快斗の頬を撫でる。そうだ。それが済んだら、また真由美のところに言って見よう。
彼女はいやがるかも知れないが、はっきりさせたいことを放っておくのは性に合わない。
漠然と決意をして、階段の方に視線をやる。そして――――――

「――――――なんでかな。」

少し表情を引きつらせて、快斗は呟いた。

「俺のシナリオじゃ、君の登場はもう1週間ほど後なんだけど―――。」

「あら、そう。」

どうでも良さそうに、彼女が言う。

「生憎ね。―――私のシナリオじゃ、今なのよ。」

珍しく冗談っぽく笑う。

「よかったら、これから付き合ってくれないかしら?」

―――晴れた陽射しの中。何故かそこにいた真由美に、快斗は頷き返すことしか出来なかった。
反射的に、と言ってもいい。

「あのさ――― 一つ、聞いていいか?」

「何かしら?」

「どうして、ここが分かった?」

階段を降りていく彼女を追いかけながら、その背中に快斗が尋ねる。

「――――――そうね―――」

振りかえらないままで、真由美が答えた。

「中森さんに聞いたのよ。―――『快斗はしょっちゅう屋上で授業をサボってる』
 ―――って、そんなことを。」

「・・・・・・そんな事まで話すのか、あいつは。」

呟く。彼女の声に少し笑い声が混じった。

「私がいつも家にいるものだから、何か心配してるみたいね。
 ―――毎日のように来ては、あなたの事を話してくれるわ。」

――――――仲が良いのね。そう言う真由美の声が、踊り場に響いた。
階段を下り終われば、正門まではもうすぐだ。誰もいないグラウンドを、彼女が歩いていく。
校長の話しは、まだスピーカーから続いていた。

「――――――何処に行くんだ?」

正門を潜りながら、快斗が聞く。真由美は答えなかった。

(――――――なんなんだ、俺は―――?)

ついこの間絶縁宣言にも等しい言動を取った相手を前にして、
何事も無かったかのように―――誘われるままに付いて行こうとしている。
言われて見れば、何でこんな時間に、それも学校にまでやって来たのか。
―――彼女が何を考えているのか。それすら確認していないではないか。

「――――――私は―――。」

真由美が語りかけてくる。何時の間にか、二人は並んで歩いていた。

「少し―――変わったかしら?」

「―――――――――」

―――分からないよ―――とは言えなかった。
そんな言葉では、彼女を遮ってしまいそうで。答えられない。だが、彼女は話しつづけた。

「多分、変わったのだと思うわ。」

あるいはそれは、モノローグなのかも知れない。――――――誰も聞くはずの無い、
聞かれるはずの無い、独白。それを自分は聞こうとしている。

「―――あなたに言われて―――何故かしら。考えるようになったの。」

彼女は何かを伝えようとしているのか。それとも、ただ呟いているだけなのか。

「私は――――――。」

――――――どうやって、死んでいくんだろう―――って。

言葉だけが、快斗の耳に響いた。
聞こえているのに聞いていることを理解できない、脳が白く覆われたような感覚が襲う。

(―――分からないよ――――――。)

「あなたなら、その答えが分かるのかしら?」

その時の彼女の瞳は―――青子達に見せる透明なものではなくて。
自分に見せた何かを拒絶するものでもなくて。
―――不安に押しつぶされて。今にも崩れてしまいそうで―――
それは、縋るように。瞳の蒼が滲んでいた。

『―――今、この時こそを人生の岐路と思い一所懸命に―――』

校長の演説がクライマックスに入ったらしい。
だがそれも雑音としか思えずに―――快斗にはたまらなく不快だった。


「・・・・・・やっぱ・・・東京の味は舌にあわんなぁ・・・。」

平次がポツリと呟いて隣の和葉を見た。ごもっとも、とでも言うように和葉が大きく頷く。
ポニーテールがぴこぴこ揺れた。

「まずいっちゅうんや無いんやけど。―――どうにも濃ぉて腹が重なってまうわ。」

店に入ってそろそろ一時間。大方の食事は既に終り、
めいめいデザートだの珈琲だの、思い思いのものを注文してくつろいでいた。

「へぇ―――そんな物なのか。」

どう答えて良いのか分からずに快斗は曖昧に相槌を打った。
関西は薄味、とは普段からよく聞く話だが生憎快斗は大阪で、
それも本場の大阪料理となると食べた事はない。
そういえば随分前に新一が「むこうのうどんはつゆが透き通ってて底まで見える」、
とちょっと新しい発見でもしたかのように言ったことがあったかもしれない。

「これって、そんなに濃い味かなぁ?」

快斗の隣には香澄が腰掛けていた。
彼女も同じような事考えていたらしいが快斗よりは素直に戸惑いを表情に出して、首を傾げている。

「ま、その内、俺らから大阪に呼ぶこともあるやろうから―――
 そん時に大阪の料理っちゅうもんを食わしたるわ。美味いんやぞ?
 たとえばこっちにもたこ焼きは売っとるけどな、本場のたこ焼きは―――――」

香澄にむかって平次が何やら詳しく話し始めた。
たこ焼きのなんたるかについてかなり気合を入れて語っているようだが、正直あまり興味がわく話でもない。
が、何が面白いのか香澄は興味津々と言った感じで耳を傾け始めた。

「それにしても―――」

快斗と平次の向かい側。和葉と香澄の間には哀が席を取っている。

「工藤君はどうしたのかしら―――?」

「そう言えば―――。確かに、ちょっと遅すぎるな。」

少々心配そうな哀に、快斗は同意した。工藤新一は探偵という職業も手伝ってか、時間には正確な人間だった。
もちろん、いかに時間に厳しい人間であるとはいっても一度も遅刻をした事が無いという訳ではないが、
それにしても一時間、と言うのは遅すぎるようにも思える。

「まあ名探偵の事だから心配は要らないと思うよ?案外またどっかで事件に巻きこまれてたりするのかも。」

「私もそうとは思うけど――――――それにしたって連絡の一つくらいあっても良さそうなものでしょ?」

「そうかな―――――あの名探偵が事件目の前にして他の事考えられる訳ないじゃん。」

どちらにせよ新一が遅れている事は事実なのだ。
別にこの後急ぎの用事がある、という訳では無いがそれでもここでいつまでも待っている訳にもいかない。

(さて―――。どうしたもんかな―――?)

いっそのこと新一は放っておいて朝、和葉が言っていたように祭にでも行ってしまおうか――――。

(いや――――――)

「そやから、ダシの取り方がちゃうんや―――それとええか、たこ焼きの正しい焼き方っちゅうんは―――」

まだ当分平次の話は終りそうに無い。
ならもう少し待ってみよう、と快斗は決めた。

結局、新一が店に姿を見せたのはそれからさらに十五分程してからのことだった。
何があったのか聞いてはみるものの、新一は答えようとしない。

「悪い。ちょっと約束が入っちまってな―――。」

唯一、そう言っただけだ。普段から新一は口数が多い方では無いが、いつもに増して愛想がない。
探偵に必要な能力の中で新一が持ち合わせていない物がこういった場合の演技力だ。
迷いがあると、動きが鈍る。

「この後、米花祭に行くんだけど――――――?」

「それもパスだ。」

新一が注文したピザを頬張りながら快斗に答える。

「折角こっちに来たのに〜?」

不満を顔にだして、香澄が抗議の声をあげる。新一は申し訳無さそうに謝るだけだった。

「悪いな・・・ちゃんと埋め合わせはすっからよ。」

「―――まぁ、俺は構わないけどね。」

すまない、と新一がもう一度頭を下げる。
大体の察しは快斗にも――――恐らくはこの場にいる全員がある程度ついていただろう。
新一がこんな態度を見せるときといえば事件か、毛利蘭がらみの何かだ。
約束が入った、という事は―――そういう事なのだろう。

「じゃあどうしようか・・・祭が始まってるかはちょっと分からないけど、とりあえず行ってみる?」

他に出切る事がある訳でもない。全員が一様に頷いた。

「じゃあ、今来たばっかで悪いけど―――。」

―――俺はこれで。一人会計を済ませ、さっさと新一は店を出ていった。

「―――なんなんや、アイツは。」

その背中を見送って、平次が誰にとも無く言う。

「彼の中で、止まっていた時間。」

それは、哀の言葉だった。何か言いたくない事を彼女言う時―――その時、彼女の言葉から感情が消える。

「動き出したんでしょうね。それが―――」

哀が止めた、新一の時間。全員が彼女を見ていた。
その表情からは言葉と同じように感情が消え失せている。それが、逆に痛々しかった。

「なら―――ええことなんやな?」

「―――どうかしら?」

哀の手が、手もとのコーヒーカップを掴んだ。細いその指先が白く染まる。

「彼の時間は止まり過ぎた。凍った時間が長いだけ、その歪みも大きくなっていくわ。
 動かすには―――摩擦が大きすぎるかも知れない。」

もう、届かないかも知れない―――。声が、小さくなっていく。

「彼は―――それに耐えられるのかしら・・・・・・?」

それでも。時を熔かす事を新一は選んだのだろう。
今も自分を待っている人の為に。そして、それは哀では無く。

(きっと――― 一番辛いのが―――彼女なんだ。)

快斗は思う。彼女は誰よりも新一の幸せを願っている。
言葉にして伝えられないとしても、彼女は彼を想っている。
だが、傍に居るには彼女の罪は重すぎた。そしてまたその重みに耐えられるほどには、彼女は強くも無い。

哀が顔を伏せた。泣いているのかもしれない。
だが哀が涙を流す顔も、必死に泣くまいとする顔も。快斗は見たくはなかった。
Episode2(13)
C.O.M.'s Novels