Episode2
―secret heart 〜秘めた言葉〜(3)―

夜明けと共に訪れるその光景が、訪れなかった事など一度も無い。三年前のあの日から。

(そう――あの日からずっとだ。彼女の夢を見るのは―――)

いつもと同じ、目覚めは最悪だった。汗に身体が濡れているのがはっきりと分かる。
毎朝同じ夢を見つづけ、それでも決して慣れる事などない夢。呼吸が荒くなっていた。
それは証だと快斗は信じている。何時までも、彼女の事を忘れない――忘れられない、その証。

「おはよう。いい朝ね。」

突然横から声をかけられて、快斗は振り向いた。哀がいつもの無表情でそこに立っている。
どうやらずっと隣に居たらしいが、気付かなかったようだ。
自分の前を通りすぎてカーテンを開く彼女に、朝の日差しが降り注いでいる。眩しそうに哀は目を細めた。
――彼女がいた事に気づかなかった、その事に今更のように快斗は多少の焦りを覚えた。

(―――注意力が落ちてる。ま、当たり前なんだろうけど――。)

怪盗キッドとしては最後になった仕事も、三年前の事だった。
長い退屈な暮らしの中で感覚が鈍っているのは当然のことなのだが、
それを積極的に肯定することは、それはそれなりに難しい。

「おはよう―――いつからそこに居た?」

「?さぁ―――3分位前からかしら?朝食の用意が出来てるわよ。皆あなたのことを待ってる。」

「あぁ―――ゴメン。」

結局昨日は遅くなりすぎてしまったので、
結局元々その予定だった平次と和葉だけでなく快斗も哀も、新一もこの工藤邸に泊まったのだ。
そんなことを今一つはっきりとしない頭の中で思い出す。気付いていたのだろうか――

「今でも、彼女の夢を見るの?」

ふと、哀がそんなことを呟く。

「ああ。―――多分一生続くだろうね、この夢は。」

ベッドから起き上がり、立とうとして―――立眩みだろうか、軽い眩暈を起こして膝をつく。
視界がおぼろげになり、一瞬意識が遠のきそうになる。別に珍しい事ではない。慣れた事だった。
それでも哀は心配そうに隣にしゃがみこんだ。

「体調はいいの?あなたの身体はもう―――――」

「分かってるよそんな事。自分の身体だ、自分が一番良く分かってる。」

 彼女の言葉を遮って、立ちあがる。眩暈はもう納まっていた。


久しぶりに人を迎えた工藤邸のダイニングで5人揃ってトーストにサラダ、
目玉焼きにオニオンスープといった手の込んだ朝食を取る。
哀が作ったものらしいが、相当に手間がかかったのではなかろうか、
と平次と快斗は当然のようにそれを頬張る新一に――
新一の食事はひどくゆっくりししていた――哀が珈琲を淹れに席に立った隙に尋ねた。

「なあ―――ドクターの作る朝食っていつもこんなにすごいのか?」

「俺は朝は和食党やけど―――なんか文句言えんわ、これだけのモンだされるとなぁ。」

少なからぬ賞賛の嵐だったが、新一はどうも合点がいかないらしい。

「?別に、普通だろ。少なくとも俺が博士の家で朝飯食う時はいつもこんなんだし。」

(工藤のヤツがいる時は、か――――)

鈍い新一の事だからまるで気付いてはいないだろうが、恐らく哀は新一の為、
とまではいかなくともかなり丹精こめて朝食を作っているのだろう。平次と快斗は無言で頷きあった。

(もったいないよな―――ドクター美人なのに。)

今は夏休みだが、哀が講師を務める大学では彼女に言い寄ろうとする者も決して少なくはないだろう。
哀はそういった事はごく自然に避けている節があるが、
それが何故かと言う事ぐらいは快斗も、平次も知っている。

(別にこんなヤツやのーても良いやろーになぁ―――。)

見つめる二人の視線に気付き、不思議そうに新一が首を傾げた。


「それで、香澄ちゃんはいつこっちに来るんだ?」

あらかた食事を終えて一同が哀の珈琲で朝食を締め様としている中、新一が何気なく聞いた。
別に誰も特に大きい反応は示さない。快斗も何気なく――少なくともそう聞こえてくれるように――答えた。

「正午に東都環状線米花駅。俺が迎えに行くよ。」

ダイニングの時計を見ると8時を少し回ったあたり。ここから30分もかからないので、まだかなり余裕がある。

「ほんなら昼飯は全員でどっか外にせんか?――いい場所があるかはしらんけど。」

平次が提案する。その後そのまま揃って何処かへ―――という案らしい。和葉がいち早く手を挙げて賛成を示す。

「今日この辺で祭らしいやん?アタシそっち行ってみたい!!」

確かに朝早くだと言うのにどこか遠くから、それらしい音――神輿の音に太鼓の音が聞こえてくる。
『米花祭』と呼ばれているものだが、正式名は快斗も知らなかった。
夏の終りに米花町中で三日三晩続けて開かれるもので、述べ十万単位の人が訪れるビッグイベントだ。
確か丁度今日の正午からの予定だったように快斗は記憶していた。

「良いんじゃない?問題は昼食をどうするかだけど―――。」

哀も同意する。新一もかまわねぇけど、と答えた。

「じゃ、午後零時弐拾分、環状線米花駅前の『ルビー・サファイア』でどうだ?」

快斗がお気に入りの喫茶店の名前を挙げる。どうやらそれで決まりになりそうだ。

「でも―――まだ4時間くらいあるやん。
 なあ平次、ウチらもしかしてそれまでここでぼーっとしてなあかんの?」

せっかくこっちに来たのに、と和葉がぼやく。―――そうやな、と平次は頷いて言う。

「ほんならちょおどっか行くか・・・?
 なぁ工藤、その『ルビー・サファイア』っちゅうのは何処や?俺らでもすぐわかるか?」

「まぁそんな分かりにくいって事はねぇけど―――ちょっと来い、地図があるはずだから説明してやる。」

二人が連れ立って席を立つ。地図を見るのなら、多分書斎に行ったのだろう。
残った3人は取り敢えず片付けを始めることにした。哀の指示に従ってあれこれと食器を流しに運んでいく。

「灰原さんはどうするん?もし良かったらやけど―――ウチらと来おへん?
 ウチらも誰か居てくれたら助かるんやけど―――。」

出かける事に決まった事が嬉しいのか、和葉がはしゃいでいる。
テキパキと驚くほどの速さで食器を洗いながら哀が答えた。

「私が居ても邪魔でしょう?ちょっとやる事もあるし―――遠慮しておくわ。」

「そっか―――じゃあ黒羽君は?」

「いや、俺はさっき言ったように米花駅に―――。」

なんや、それやったら平次と二人やん―――。
残念、という訳ではないだろうが多少拍子抜けしたのかもしれない。和葉がまたぼやいた。
そんな事を言ってる間にも片付けは進み、10分もかからずに全ての食器が棚に戻る。
丁度良い具合に平次も戻って来た。既に出かける準備まで終わっているようだ。

「よっしゃ、ほんなら行くか!和葉、おまえ用意はええか?」

「あ、うん!何処いくん?」

「―――まぁそれは行ってからのお楽しみやな。」

――――なんなんそれ?
などと言いながら賑やかに二人が玄関を抜けていき、やがてバイクのエンジン音が響く。

「じゃ、俺もちょっと出かけて来る。」

追いかけるように新一。こちらは極めて静かに、優雅とも思える足取りで出かけていく。
快斗は『何処に?』と聞こうとしたがそんな質問をする間もなく新一はさっさと行ってしまった。
途端に騒がしさが消えてしまい、何処となく落ちつかなさを感じる。が、

「取り敢えず珈琲飲ませてくれない?」

快斗はマイペースに哀に頼んだ。まだ時間はある。焦る必要はない。
朝から珈琲を楽しむぐらいの余裕があってもいいだろう。

「全く――――やれやれだわ。」

昨日から何度か聞いたその言葉を残して、哀は台所に入っていった。



「――――なぁ、まだ目ェ覚まさへんぞ。いくら何でもちょっと長すぎるんとちゃうか?」

平次が今ソファで目を閉じている少女を担ぎこんでから、1時間は裕に過ぎただろう。
応急処置が終ってからでも30分程経っている事になるが、少女が目を覚ます様子はない。
確かにそろそろ意識が戻ってもいい頃なのだが―――。

「私達が焦っても仕方ないわ、ゆっくり待ちましょう。それより――――――工藤君はどうしたのかしら?」

快斗達が工藤探偵を待ち始めてからも、やはり1時間が過ぎていた。
哀の話しではすぐ帰ってくる、という事だったのだが。

「ひょっとすると、また何か事件に巻き込まれたのかも。
 ―――だとすると、あなた達には悪いけど当分帰ってこないわよ、彼。」

「―――――どうしようか、快斗。」

青子が珈琲を飲みながら――よほど気に入ったのか、さっきから何度もお代りを貰っている――こちらを見た。

「まぁ、待ってれば良いんじゃないか?別に他に用事がある訳でもないし―――あの子の事も気になるしな。」

「そう言えば自分ら、工藤に依頼にきたんやったな。―――良かったら俺が引き受けたろか?」

「え?良いのか?――――頼んでも。」

そう言えば目の前にいるのが『西の名探偵』だった事をすっかり忘れていた。

「ま、気にすんなや。大分迷惑かけたみたいやし、礼みたいなもんや。―――――それに、一応仕事やしな。」

ありがたい申し出だった。たかが猫(もどき)探しだが、進んでやって貰えるならこちらとしても頼みやすい。

「じゃあお願いしよっかな。――――おい青子、説明してやってくれないか?」

青子が頷く。手に持っていたカップを下ろして、話し始める。

「えっと―――猫を探してるんだけど。」

「猫ォ?そーいやガキん頃によォ探したなぁ。――――まぁまかしとけや。で、どんな猫や?」

「いや、それが猫っつーか――――。」

詳しい説明を重ねていく内に、平次の眉間に皺(しわ)が寄っていくのが分かった。
―――誰も『わむぅ』、などと鳴く猫など知らないだろうから、無理もないが。
大方の説明を終えるが、話す快斗と青子にとっても、話せば話すほど怪しい生き物なのは間違いなかった。

「探してはみたるけど―――正直そんな特徴だらけの猫――
 まぁ猫っちゅうことにしとくけど――そんなんがそこらを歩いとったらいくら何でも誰かの目に止まるやろ。
 そのはずが探しても見つからんっちゅうんやったら、もうここらにはおらんのやないか?」

―――そんなことを平次が言った時、リビングの扉が開き、すらりとした体つきの少年が現れた。
勿論快斗もそれが誰であるかは知っている。言わずと知れた『東の名探偵』、工藤新一だ。

「ただ今―――ってあれ?服部、おまえまた来たのか?」

「おお、工藤!!久しぶりやな。まぁ、ちょお遊びにな―――
 ところで工藤、おまえに依頼人が来とんで。こっちの二人や。」

平次がこちらを指したので、慌てて快斗は頭を下げた。青子もそれに習う。

「依頼人?―――あぁ、すいません、ちょっと待って頂けますか?」

新一もこちらに頭を下げ、哀に珈琲を頼んだ。ソファに腰掛けた新一と、簡単な自己紹介を交す。
そのうちに珈琲を持ってきた哀に新一が尋ねた。

「はい、どうぞ。―――熱いから気をつけてね。」

「お、サンキュ―――。あ、そういえばさ。灰原、おまえ猫なんて飼ってたっけ?」

「?いいえ―――そんなわけないでしょう。」

だよなぁ、と新一が呟き、懐に手を入れる。

「いや、コイツが玄関の前で座りこんでてさぁ。
 中に入りたそうだったから、ひょっとするとそうかと思ったんだけど―――。」

懐から取り出されたのは、猫っぽい―――としか言えない、微妙な生き物。
新一に首根っこを捕まれたそれは、人懐っこそうに『わむぅ』、と鳴き声をあげた。
体長25cmもぴったり。すぐにそれと分かった。

「「ちっぴー!!」」

青子と―――快斗が声をあげると、その名前も一応覚えていたらしい『ちっぴー』はもう一度『わむぅ』、
と言って首を振り、新一の手を振り切った。

「え?――――知ってるの?コイツ。」

あっけに取られたように新一が呟く。

「知ってるも何も、俺達の依頼内容がコイツだったんだ。ここんとこいなくなってて、探してた。」

しかしまた何故こんな所に―――。
恐らくその場にいた全員が抱いたであろう疑問だったが、程なくその理由が分かった。
『ちっぴー』が気を失ったままの少女の傍てけてけと歩いて行き、隣に座ったのである。

「もしかして―――彼女の猫かな。」

確信は持てないが恐らくそうなのだろう、と快斗は思った。
いかにも心配そうな顔で、猫(もどき)が少女を見つめている。なかなか飼主に忠実な猫(もどき)だ。
微笑ましく誰かがそう思った時。眠っていた少女の腕が動き―――そっと猫(もどき)の頭を撫でた。
Episode2(4)
C.O.M.'s Novels