Episode2
―secret heart 〜秘めた言葉〜(9)―
東都環状線、米花駅。この街の中でも一際活気に溢れた中心街の、更に中心にそれは位置していた。
昨日、自分はここを通った。特に理由はない―――
ただ今日妹と一緒にここに来ることになっていたら、自分はその重圧に耐えられなかったかもしれない。
結局は自分のことしか考えていない―――三年前、真由美が呟いたその囁きに、快斗は苦笑した。
時計はまだ正午に二十分ほど足りない。
それなりに長い時間だが、かと言ってそこらの喫茶店にでも入ろうかという気にもなれない、
中途半端な時間だった。しょうがなく入場券を買って、ホームに上がる。
(三年前―――俺はここから逃げたんだ。香澄を連れて―――真由美が消えた、この街から。)
あの時。自分は真由美と香澄の後見人と名乗る人物に頭を下げた。
約束したのだと―――香澄を守る事が自分から、彼女にできるせめてもの償いなのだと。
香澄は、記憶をなくしていた。香澄はそれを知っている―――そして何故自分には記憶がないのか。
それだけを、香澄は知らない。そして三年―――いつしか償いは罰へと変っていき、香澄は妹へと変っていった。
だが、彼女は―――真由美だけが、いつまでも思い出に変らない。
(俺は、決着を付けなくちゃならない。)
―――自分の過去、その全てに。
時は驚くほどの速さで巡っていく。気がつけば、アナウンスが電車の到着を告げていた。
「ねぇ、快斗。」
「―――なんだよ。」
呼びとめたのは幼なじみの声。
背中越しに聞こえたその声に、振り向かないままで快斗は煩わしそうに答えた。
「快斗―――最近ちょっと、ヘンだよ。」
「・・・・・・・・・。」
自分ではいつもと変らないつもりでいるのだが、青子は快斗のここ二、三日の変化が分かるらしい。
そこは流石に幼なじみ、と言うべきだろうか。
「ねぇ―――何かあったの?」
「うっせえなぁ―――なにも変りゃしねえって。」
答えはするが、青子の方を振り向く事が出来ない。ずっと、真由美の言葉が心に引っかかっていた。
(そう。彼女は何を望んで―――何を恐れているんだ?)
あの蒼い瞳は、つまりはそういった瞳だった。何よりも強く焦がれ、何よりも恐怖に近く。
そしてそれ故に美しい。それはきっと――――――人には触れる事さえかなわない、何か。
もしかするとそれは、自分が追い求めている物に似てるのかも知れない。
月に翳(かざ)せば見えるという、父が残した謎。
「―――あのさあ、快斗。」
どうやらこちらからのまともな反応は諦めたらしい。
だが言うだけは言っておこうというのだろう、青子が多少投げやりに語りかけてきた。
「私、これから真由美ちゃんの家に行くんだけど――――――。」
そこまで言って、青子が驚いたように言葉を止める―――
目の前で、快斗が物凄いスピードで振り返り、こちらを睨んでいた。
「―――今からか?」
快斗が言う。真由美の家に行く、ということを言っているのだと気付くまでに、かなり時間がかかった。
「うん・・・・・・。どうかしたの?」
「――――――俺も行って、かまわないか?」
「え?―――大丈夫だと思うけど・・・・・・。」
「よし。行こう。」
それだけ言って、快斗はまたむこうを向く――――――
もちろん、来るなと言われてから流石に行きにくかったが
青子と一緒なら真由美も文句を言わないだろう―――という考えがあってのことだった。
見極める必要があった。彼女の瞳が何を映し―――その中の何が、こうまで自分に引っかかるのか。
(まぁ、ついでに―――。)
―――彼女にも会えるしな。心の中で、快斗は小さく呟いた。
「やっぱりおっきい家よね〜。」
最初に見た時は夜だったのでよくは見えなかったし、
前回来た時は忍び込んだので屋敷の様子などあまり見はしなかった。
だが真昼間にこうして正面から見ると、やはりそれは大した物だった。青子が呟くのも分からなくはない。
「なんか・・・インターホン押すのが躊躇われるよね。」
青子がポツリと、また呟く。それも分からなくはなかった。
一般庶民の身でインターホンを鳴らすには、ここはあまりにそういった雰囲気に満ちている。
「―――じゃ、俺は先に入るぜ。」
快斗が地面を蹴り、軽やかに門を越える。
「ちょっと、快斗?!なにやってんのよ!!」
「かまやしねえって。早くこっち来いって。」
「いや、私・・・・・・・・・スカートだし、
ってその前にモラルとか道徳とかそういう問題があるでしょ?!」
この二人がこういうつまらない事―――かどうかはさておき、言い争うのはいつもの事だ。
いつの間にかお互いが意地になり、何があっても譲らず決着がつかなくなる。
だが、今日この場ではそれは案外早くおさまった。
――――――わむぅ。
聞き覚えのある―――というよりも忘れたくても忘れられそうにない、鳴き声に、二人の動きが止まる。
「あ〜、わむ太!!元気にしてた?」
青子が歓声をあげた。彼女の事を覚えているらしいわむ太がひょいひょい、と彼女の頭に登った。
「会いたかったよ〜!!」
何やら感動的な再会シーンのようなものが展開される門の向こう側を無視して、屋敷の方を振り返る。
―――――そこに、彼女はいた。
ホームに車両が滑り込む、その風が肌に心地良い。
快斗の中には、香澄が自分の前に止まるその車両の、
自分の目の前のそのドアから出てくるだろうという確信があった。
逃げ出した自分にとっては入り口―――そして記憶をなくした彼女にとっては、
旅立ちの―――三年という長い旅への、その出口。
彼女は、必ずこの場所に帰って来る―――出発したこの場所に、寸分違わず。
その確信があった。次第に速度を落としていく車両が、快斗の前を流れていく。
(真由美―――俺達は帰ってきた。)
止まる車両。それとは逆に、凍てついた時間が動き出すその鼓動を、強く感じる。
(三年も―――ずっと、ずっと遠回りをして―――それでも俺達はこの街に帰ってきた!)
ドアが開いていく。拒み続けてきた時間の流れが、今はこんなにも待ち遠しい。
(喜んで―――くれるかい?)
一人の少女がホームに降り立つ。今、正にこの瞬間。この瞬間の為にこの三年間があったのだと、信じた。
「――――――お帰り。」
何故かそんな言葉しか、出てこない。
「ただいま。お兄ちゃん。」
その蒼い瞳は、あるいは海に似ていた。どこまでも深い底の向こうに、何かを湛えている。
それは彼女の姉と、同じ。顔立ちから背格好まで、何から何までが白木 真由美を思い起こさせた。
―――黒羽 香澄。
ここだけは違う、とでも言いたそうな短く揃えられたつややかな黒髪が、夏に陽射しに眩しかった。
Episode2(10)
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