Episode3
―Missing Time 〜過行く時〜(14)―


時計の針が、二時十分を少し過ぎたあたりで重なろうとしていた。
満月は、先ほどから雲に隠れて見えなくなってしまっていた。

「こんなところかしら―――――――経過は順調よ。予想通りの数値が出ているわ。」

哀が、手元においてあるカルテがわりのノートにドイツ語で何か記していた。
自分にはその内容が理解できたところでどうにもならないのだから、特に気にはならなかった。
彼女が自分に嘘をつく理由もないのだから、
きっとその言葉どおりに自分は順調に時を刻んでいるのだろう。

「そう。」

短く答える。これまで二人が過ごした長いとも短いともいえない時間は、
しかし真由美の表向きの表情―――――
和葉や平次、新一に向けるものを必要としなくなっていた。無理に感情を作ることもない。

「愛想が無いわね」

もっとも、お互い様かしら?そういって哀が小さく笑う。
自分の数少ない友人だと、そう断言できる。
どこか寂しい影を湛えた少女は、感情が少ないという意味では確かに似ている。


そして、全く似ていない――――――。


一年後の今日、ここにいるかどうか、という意味では。

「黒羽君には、もうちゃんと話した?」

友人の声に、自分の心が小さく揺れたのが分かる。
きっと彼女にも分かっただろう。それを押さえつけて、答える。

「いいえ。言わないつもり。」

その答えは半分正直で。半分は嘘つきだった。
本当は、悩んでいる。
聞かれたから、自分らしく―――――きっと、今までの自分なら選んだのであろう選択を、口にしただけ。

「何故?」

冷たい視線で、哀がこちらを見つめている。自分の心が斬られてしまうような気がした。

「ごめんなさい」 素直に訂正する、 「本当は、迷ってる。」

そう言って、視線を彼女から自分の手元に移した。
ベッドに座った自分の、布団の上で組まれた手の、多分2cmほど上の辺り。

「この一月ほどで。」

哀は、何も言わない。黙って、自分の言葉を待っていた。

「余計なものを持ちすぎたわ。もう、大事にする時間もないのに。」

私は、もう―――――――死んでしまうのに。
自分は、泣いているのかもしれない。
涙を流さずに人が泣けるのならば、きっと自分は泣いているのだろう。

「私達は、余計かしら?」

それだけを哀は聞いてきた。
今の言葉で、少なからず彼女が傷ついたことを知っている。
そして、許してくれることも知っている。そんな自分は、我侭だ。

「そうよ。皆して私に気を使って。独りが、よかったのに。」

独りで、すべてを諦めることが、もうできていたのに。
大事なものを失って。運命を受け入れて。
何もかも捨てて、希望を信じることもやめて。すべてから目を逸らして。


最期の時を迎えられただろうに。


閉じ込めていた、涙が溢れた。



『君も、信じていいんだ。』



何故だろう。何の根拠も無い言葉が、こんなにも自分を駆り立てる。



『君が望むことを。君が望むままに。』



どうしてなのだろう?彼の指先が拭ってくれた涙は。こんな、冷たくなかったのに。


「生きたい」


生きたい。これから先のどの時間も、彼の傍にありたい。
彼が笑うときには、自分も笑っていたい。涙するときにも、独りではありたくない。
彼が、死ぬときには―――――。


「なんで?どうして――――――今更―――――――――」



自分は、望んでしまうのだろう?

叶わぬ願いに、涙してしまうのだろう?

彼の顔が、胸に浮かぶのだろう?



何故。自分には時間が無いのだろう?



悲しいのは、それだけで。



けれど、自分は泣いていた。

Episode3(15)
C.O.M.'s Novels