Episode3
―Missing Time 〜過行く時〜(15)―
「――――――落ち着いた?」
哀が囁く。
どれほどの時間が経ったのか―――――
そんな長くも無かったと思うのだが、彼女はじっと自分を待ってくれていた。
「ええ。取り乱して、ごめんなさい。」
いいのよ、と哀が首を振る。
この友人は、言葉にしないくせにいつも優しい。
「でも、久しぶりだったわ。こんなに泣いたのは。」
「そうなの?前は、もっとよく泣いていたのかしら?」
「ええ。現実を、受け容れられるようになるまでは。」
少し、思い出す。何も信じられなくて。けれど、信じていたくて。
あるはずの未来、あったはずの未来を失った空虚を、埋めるように自分は泣いていた。
時に怒りに震えて。時に何も考えられなくなって。
そして、いつか心を忘れていたのだ。
慣れてしまうということは、麻痺するということなのだろう。
「そろそろ、帰ろうかしら。思っていたよりも、ずいぶん遅くなってしまったし・・・・・・・・。」
またしばし話し込んで、哀が座っていた椅子から立った。
「こんなに遅いのに。
泊まってくれても私は別に―――私のために来てくれたんだもの、それくらいは。」
「結構よ。迷惑はかけたくない。」
「駄目だよ。帰れない。」
不意に、声が部屋に響く。
扉がいつの間にか開いていて、その向こうに黒髪の少女が立っていた。
「香澄―――――まだ起きていたの?」
少し非難がましく真由美が言う。
彼女に接するときの真由美は、どこからみても姉の顔で、それが哀には微笑ましく思えた。
ごめんなさい、と悪びれもせずに香澄は謝る。
「でも、さっきから雨が凄いから。
哀お姉ちゃんは傘持ってるみたいだけど、そんなんじゃ無理。風邪ひいちゃうよ?」
言われて、真由美はすぐ傍のカーテンを開けた。
気づかなかったが、まさに車軸を流す、とでも表現できそうな雨が空の闇を叩いていた。
「だから。泊まっていけば?」
どうやら、香澄は哀が家に泊まってくれるのが嬉しいらしい。声が多少弾んでいる。
「いいでしょ?お姉ちゃん。」
「――――――――この子は、もう―――――」
真由美が心底呆れた、というふうに溜息をつく。
「でも、哀さん。確かにこの雨の中帰るのはちょっと・・・・・・。」
「そうね―――――お言葉に甘えようかしら?」
少し考えて、哀は答えた。
全身ずぶぬれで帰ったりすれば、たぶんまた博士が余計な心配をするだろう。
その気持ちは確かに嬉しいのだが、
正直に言えば、多少―――――いや、かなり――――過保護な感が無いでもない。
『灰原ってなんつーか、箱入り、ってカンジしねえ?博士見てると特に。』
とは新一の言だが、この意見に反対する博士の知人はいまだもって現れていない。
「やった!!」
「喜ぶことじゃないでしょ、香澄。」
妹を叱るが、香澄は一向にそれに構わずに哀の袖を引っ張って行ってしまった。
まだ言い足りないと思いベッドから出はしたものの、追いかける程のこともないと思い直す。
あれでしっかりした妹だから、哀のことは任せて大丈夫だろう。
もう遅いし、眠ることにしよう。
そう思って、ベッドの方に向き直ろうとした真由美の頬を、思いがけず冷たい風がよぎった。
何故?疑問を浮かべた表情に、小さな雫がかかる。ベッドの傍の窓が、開いていた。
「夜更けに失礼―――――――」
その姿は、雨の中に隠れていた。
濡れた白いスーツが、室内の光に淡く浮かび上がっている。
「この雨が通り雨でよかった。満月が、もうじき貴方を照らすでしょうから。」
その言葉どおりに、白いシルエットが次第に鮮明になっていく。
雨のカーテンが薄れ、雨音も遠ざかっていくのが分かった。
二人を遮るものが、失われていく。
「貴方は――――――」
情けなく、声が震えた。これは本当に自分の声だろうか?
「逢いたくないときにしか、逢いに来てくれないのね?」
ゆっくりと雨雲が姿を消していく。雲間から零れた月光が、彼の顔を照らした。
「身勝手。」
真由美の声に、彼は少し顔を上げた。
その表情は見覚えのないもので、彼女は何故か、息を呑んだ。
「貴方が、運命に呪われているなら。」
泣きそうで、寂しそうで、悲しそうな。今まで見せたことも無い、そんな顔で。
そんな真剣な瞳で、私を見ないで。
私の知らない顔で、私を見ないで。
「その運命を、私は探していた。」
窓辺に立つ姿が、部屋の中へと足を踏み出す。
真由美は、動けないままでその姿を見ていた。
もう、彼は目の前にいる。手を伸ばさずとも、届くほどに。
彼の手が、頬に触れた。拭うべき涙は、もうそこにはなかったけれど。
「君の瞳は――――――宝石なのか?」
そう言って、儚く微笑んだのは。微笑んだその顔だけは。
間違いなく、彼女の知る黒羽快斗だった。
Episode3(16)
C.O.M.'s Novels