Episode3
―Missing Time 〜過行く時〜(16)―
「ここが客間。もうけっこう長い間使ってないけど綺麗なはずだから安心して。」
そう言って、香澄は哀を10畳ほどの部屋に案内した。
窓際にベッドがあり、中央の壁際にテーブルと椅子が二つ。
そこらのホテルで適当に部屋をとればこんな感じだろうかと哀は思った。
「これが鍵。まぁ、わざわざ鍵をかける必要もないとは思うけどね。」
「ええ。ありがとう。」
差し出された鍵をおとなしく受け取る。
12歳だと聞いているが、彼女の言動は他のそれよりも幾分洗練されている。
きっと頭のいい子なのだろう。
この子は、自分の姉の体の事は知っているのだろうか?
ふと、哀はそんなことを考えた。
知っていて当然のような気もするし、知らないのではないかという気もした。
ただ、どちらにしてもこの子もまたいずれは同じ業を背負うのだろう。
(必然では、ない。)
声に出さずに、呟いた。真由美と、その妹である香澄と。
二人が全く同じ運命をたどるなどとは、誰にも決められないはずだ。
少なくとも、神を信じない哀にはそうだった。
「あの―――――――」
気づくと、香澄が哀の顔を覗き込んでいた。
突然考え込んでしまった自分の顔を、不思議そうに見つめている。
「え?あぁ、ごめんなさい。何かしら?」
「ううん、別に――――――じゃあ、おやすみなさい。」
「えぇ―――――おやすみなさい。」
香澄にすべてを話すのは間違いだろうと哀には分かっていた。
香澄がそのすべてを知っているにせよいないにせよ、
その知っているか否かさえ、自分は知ってはならない。そんな気がした。
軽やかな音が、廊下を遠ざかっていく。
踏み込まなくても良い所にまで、自分は踏み込んでしまった。
哀の脳裏をよぎってゆく苦しげな感情を言葉にするならば、多分そんなものだろう。
今、この家の中にいる姉妹を、自分は救うことができない―――――
願い事を叶えてくれる魔法使いでも、そんなことはできないだろうが。
絶対に、不可能。
それでも、自分に出来ないことは確かで。無力感だけが心の奥で揺らめいている。
自分は、無力だ。
そんなことは姉が死んだ時から嫌というほど思い知らされてきたのに、
まだ何処かでそれを否定しようとする自分がいる。
否。そうでなければいいと願う自分がいる。
「いつまで、そんな幻想に縋る(すがる)のかしら。」
空虚に向かって、哀はつぶやいた。
聞くもののいないそれは、やがて壁に跳ね返されて自身に届く―――――
いつまで、そんな幻想に縋るつもり?
溜息をつく。最近気がついたことだが、
溜息とは便利なものだ―――――落ち込んでいく思考を区切ることができる。
嫌な事を考えたくないときは、溜息一つで思考停止。
もう、寝よう。考えることに疲れて、哀はベッドに横になった。
阿笠邸の自室にあるベッドよりもふた周りほど大きい寝台は硬く、多少寝苦しい。
眠るために努力する、というのも考えれば妙だが、眠るためには多少の労力が必要だろう。
ようやく、意識がまどろんだ頃。何の前触れもなく扉が開いた。
廊下の明かりを背に、僅かに泣き声が聞こえてくる。
「――――――香澄、ちゃん?」
眠りに落ちる寸前だったせいか、意識がはっきりとしない。
だが、それが香澄だということだけは分かった。
「どうしたの?」
「お姉ちゃんが――――――」
足をふらつかせて、彼女が部屋に入って来る。
だが一メートルも歩くことができずに、香澄はそこでくず折れた。
「真由美さんが?どうかしたの?」
「お姉ちゃんが。いないの。」
目が、覚めた。
Episode3(17)
C.O.M.'s Novels