Episode3
―Missing Time 〜過行く時〜(17)―


雨上がりの空は、ひどく透き通っていた。
夏の夜を覆う暑さも多少なりと和らいだのか、
こうして空を飛んでいても、汗はかかない。腕の中には、真由美がいた。

「―――――――今更聞くのもおかしいけれど。」

真由美の視線が上に向けられた。快斗が見下ろすと、意外なほどに彼女の顔は近い。

「一体、何なの?貴方のこの服装。」

「知らない?怪盗キッド。」

「知らないわ。」

「あ、そう―――――――。」

自分が少し落ち込んだことを快斗は自覚した。
命がけで闘う自分のもうひとつの姿を彼女が知らない、その事実が少し寂しかったのかもしれない。

「魔法使いだよ。とびきりカッコイイ、ね。」

快斗はおどけてみせた。ウインクをひとつ、彼女に贈る―――――真由美はただ、

「―――――そう」

それだけを答えた。

真由美の部屋の窓を発ってから五分ほどになる。
快斗の用件そのものには別に外に出る必要など無かったが、
真由美が話をするなら外がいいと言ったのだ。

この格好で外をうろつくのは正直気が進まなかったが、
彼女に従わないわけにもいかず、結局まだ空がましだろうと考えた。
なぜ彼女を抱えているのかと聞かれれば、それしか理由はないはずだ。

「それで?どこまで飛べばいいのかな?」

「そうね―――――この速さなら、後2、3分かしら?」

方角はこのままで、と声が付け足される。
肝心な所を――――目的地を秘密にするのは、依然と変わらない彼女だ。
そんなことで、少し安心する。

いつかとは違って今夜は空を飛んでいる。
だから方向感覚が狂うこともなかったし、ここから数分の距離ならすでに視界の中だ。
快斗にはすぐに目的の場所がどこなのか察しがついた。

「着地するなら、あの木の根元でお願いできるかしら?」

表情から読み取ったのだろう。
真由美が、目的地が分かっていることを前提で注文をつけた。
新一や平次と同じ意味で言うならば、やはり彼女も優れた目を持っているということだろうか。

「了解。」

答えて、少しずつ高度を下げる。
幾度となく繰り返された手順はよどむことなく、やがてあっさりと二人は地面に降り立った。




「さて、と――――――ちょっと良いかな?」


それだけを言うと、快斗は真由美を抱き寄せた。
月光を映す彼女の瞳を覗き込む。真由美は別段抵抗もしなかった。

瞳の奥で、月に照らされて蒼が滲んでいた。


「――――――君は、君の瞳の事を、知ってる?」


吐息がかかる距離で、言葉を交す。滲んだ蒼が揺らめいた。
答えない彼女に、快斗は続けて言葉を紡ぐ。


「昔、君と同じ―――――蒼い瞳を持つ女性(ひと)に恋をした宝石工がいたんだ。」


快斗は語った。腕の中の彼女に―――――あるいは彼女の瞳に。


「彼はその女性が亡くなった後に、その瞳の輝きを永遠に残すために一つの宝石を作り上げた。
『月の涙』。この世のどのダイヤよりも蒼いダイヤさ。」

―――――――もしかすると彼が恋をしたのは、
彼女ではなく―――――その瞳だったのかも知れない。快斗は囁く。


「ひとつ思うことがある。
 その瞳には、宝石工を虜にするほどの魔力が込められていたんじゃないか?って。」


そっと、彼女から手を離す。
二人の距離は変わらなかったが、快斗は無意識のうちに空を――――月を見上げていた。


「蒼い、宝石のような瞳。不意に死んでしまう女性。」


真由美は答えない。答えないままで、快斗の姿を見つめている。
見つめる瞳は蒼―――――心が魅入られてしまう、神秘の蒼だ。

「僕は、そんな人をもう一人知っている。」

「仮に―――――私の眼が、そうだったとしたら。」

真由美が初めて口を開く。


その声の音色は、感情を交えない透明な―――――悲しい声。


彼女は、もう心を失くしてしまったのだろうか?
絶望を生きることで別れにも、悲しみにもいつか慣れて。心を忘れてしまったのだろうか?

「貴方は、どうするの?」

僕が、本当に触れたいものは。その声を聞きながら快斗は思った。
本当に触れたいのは、そんな君が裏側に隠す心だ。涙を知っている、素顔の君だ。

「私から、この瞳を奪うのかしら?」

快斗の迷いを見透かすように、真由美は笑った。

「分からない。」

分からない。もう一度快斗は声にする。
ずっと、闇の境界を彷徨いながら探し続けたもの。
付き合いの長い警部と幾度となくまみえるのも。いけ好かない名探偵と対峙することも。
人を傷つけることも。光を奪うことも。日常を失うことも。
幼馴染が、涙するのも。



すべては、このためにあった。そのはずなのに。



今目の前にいる彼女は。そのすべてと引き換えであっても失いたくないと、そう思った。
追い続けた日々さえもが、彼女の前に色褪せる。
これ程までに失いたくないものなど、あっただろうか?

「真由美――――――俺は・・・・・・・・・」

自分が何を言おうとしたのか、理解できてはいなかった。
無意識のうちに口を付いて出たその言葉は、多分、真実。
だがその言葉を、彼女は遮った。




「残念ね―――――時間切れ。」




遮ったその言葉の意味が、快斗はすぐには分からなかった。
理解できずに、彼女の顔を見る。その瞳は閉じられていた。

「真由美――――――?」

呼びかけるが、答えはない。
代わりに、彼女の身体がゆっくりと快斗にもたれかかった。
四肢から力が抜けているのか、動かない身体はひどく重く感じられた。
意識が無い。そのことだけが唐突に分かった。

「真由美!」

叫んだ。この声に、彼女が答えないことは―――――やはり分かっていたけれど。

気が付けば、再び空を雨雲が覆っている。雨が一粒、真由美の頬を濡らした。

彼女は、死ぬ。頭ではわかっていたつもりでも。自分は理解などしていなかった。

この時間が永遠に続くような気がしていた。
自分はいつまでも高校生で、いつまでも怪盗で。


いつまでも警部と続く追いかけっこがあって。


いつまでも、誰も。変わらないままで。理由もなく思っていた。


いつまでも――――――真由美と、一緒に。理由もなく信じていた。


だがそれは、薄ら甘いだけの幻想で。




今、腕の中で答えない彼女の重み。




       リ ア ル
それだけが、 現 実

Episode3(18)
C.O.M.'s Novels