Episode3
―Missing Time 〜過行く時〜(18)―
思いついた場所は、一つしかなかった。
もとより、彼女のことをよく知っている訳ではないからその思い付きが正しいかどうかはまるで自信がない。
ただ、だからといって他の場所は考えられないような気もした。
白木真由美のことはまるで知らない―――――だが、彼女によく似た人はたくさん知っていた。
この世界に思いを遺しながら死にゆく人々を、何人も見てきた。
宮野志保が知っている、黒い世界。白木真由美は、その住人達に何処か似ていた。
(―――――その頃の私は、その他人の為にこんなことはしなかったでしょうけどね)
走りながら、哀はひとりごちた。誰かの為に自分が動く。
そんなことはありえない世界だった。同情や哀れみは弱さだと教えられた。
そして、それだけでなくそのことが他人を傷つけることもあると―――――今は知っている。
それでも、走らずにはいられなかった。
救うことなどできない。傷つけることしかできない。
(ならば、何故?)
心の中に問い掛ける。見えてきた教会の横を通り抜け、坂道を登っていく。
雨がまた降り出して、激しくなっていく。
視界が徐々に狭くなり、雨音だけが頭の中で反響を繰り返す。それは、心地いいリズムだ。
(信じていたいから?それとも、信じたくないから?)
自分に何かできると―――――この行為が無駄でないと信じたい。
自分に何もできないなどと―――――この行為が無駄だなどと、信じたくない。
信じたいけれど、自分の無力を知っていて。知っているけれど、信じたくない。
同じことだ。
坂道を登りきる。雨の中、墓地は暗かった。
走って乱れた髪を、適当に雨ごと掻き揚げる――――――彼女がここにいることに、
何故か今更になって確信がもてた。
名も知らぬ、けれど大きな木がこの墓地の奥にある。
彼女がいるならそこだということは知っていた。そして、彼女がその場所が好きだということも知っている。
少し走りつかれたのか、息を整えて。今度はゆっくりと、哀は歩き出した。
いかにも心配でたまらなかった、というような顔は、彼女には見せたくない。
(私は、自分の無力を知っている。自分の罪の重さも知っている。)
今、哀が真由美の傍にいる理由。
それは、単なる自己満足に過ぎないのかもしれない。
自分が殺めてきた人々からすれば、なんという勝手な理屈だろうかと、それくらいは分かっている。
罪が許されないことを。自分は知っている。
それでも。
償うことだけは。きっと、自分にも許されている。
「人は、無力なものなのよ。黒羽君―――――貴方にも、それくらいはわかるでしょう?」
何故、自分が彼の名前を呼んだのか。分からない。
「いつの時代も、同じ――――――『死』は、治せない。」
「知ってるよ。知ってる、つもりだった。」
だが、返ってきたのは紛れもなく彼の声だ。
「彼女を。真由美を―――――――助けて、くれ。」
快斗の腕の中。眠る真由美の顔色をそっと伺う。
気を失ってはいるが、もう落ち着いたようだ。
発作が起こったようだが、もう問題ないだろう―――――今は。
「我侭ね。不可能だって、言ったばかりよ。」
帰りましょう。そう言って哀は快斗の肩を叩いた。
だが、肩を叩かれたそのままに、快斗は崩折れる。
「俺は――――――何も。分かってなんか、いなかった」
少女を抱く腕に、力がこもった。今は肌越しに伝わる体温も。
かすかに聞こえる安らかな吐息も。
消えてしまう。跡形もなく。
「俺は―――――何も――――――」
彼女の苦しみを、理解していなかった。悲しみと、孤独と、絶望を。
「――――――何も――――――!」
雨音に紛れて快斗のつぶやく声が届く。
腕の中の彼女は答えずに。変わらぬ寝顔を、たたえていた。
Episode3(19)
C.O.M.'s Novels