Episode3
―Missing Time 〜過行く時〜(20)―


「―――――――信じられへんな。この娘(コ)が死ぬ?」

眠る真由美を見下ろして。平次はぽつりとこう漏らした。

平次の呟きは、突然事実を知らされた人間の反応としては当然のものだろう。
それを聞いている新一にしても、寝耳に水だった。
二人がこの家に来たときにはもう哀の作業もあらかた終わっていたし、
今こうして真由美の寝顔を見ていてもそんな深刻さはまるで見られなかった。

「―――――――灰原が言ってんだ。アイツが言うんだから、確実だろ。」

アイツはこういうことに関してはやたら慎重だしな、と新一は付け足した。
もちろんそんなことは、平次にだって分かっていただろう。
ただ、口にするだけの意味の無い言葉だが、
そんなものでも時として必要だ―――――こんな時には、特に。

「最初見たとき、道端で倒れとったもんなぁ。
 貧血やらなんかそんなもんで気ィ失ったっちゅうのも、
 今考えたらその症状やったんやな。」

時計が時を刻む、そんな音が平次にはいつもより大きく感じられた。
気付かぬ間に過ぎ去ってしまうこの一秒が、いったい後どれだけこの細い体に残されているのだろう?

        い ま
この、一秒で。『現在』は過去へと変わっていく。
           い ま
けれど本当の意味での『現在』なんて、実はどこにも無いのだ。
            い ま
それが存在するのは人が『現在』と口にする時。それだけでしか有得ない。
                  い ま
その一秒が。知覚すらできない無数の『現在』が。彼女を過去へと追いやっていく。
そう遠くない未来、彼女を連れ去ってしまう。

         い ま
けれど。それでも『現在』。確かに彼女はここにいるのだ。


「私は――――――どうしたんですか?」

時計の音を遮り、いつから目が覚めていたのか真由美が宙に言葉を投げた。
平次と新一 ――――二人が寝台に近づくと、その表情が笑顔になる。

「・・・・・・私、倒れちゃったんですね。」

平次には、答えることができなかった。
すべてを知った今になって、彼女にかける言葉が見つからない。
言いたいことはあるのだが、それは心の中、
どこかで空回りするばかりで言葉にはならなかった。

「ああ。でも、もう大丈夫だって灰原が言ってたよ。」

代わりに、新一が答えた。新一にも言いたいことは他にあったのだろうが。

「いいんです――――――私が、もうそんなに長く生きられないこと。
 それくらいは、ちゃんと分かっています。」

真由美の言葉は、二人に向けられたものではなかっただろう――――

―――彼女の瞳は、二人を見てはいなかった。
宙を見上げたままで、彼女は話し続けた。

「けど――――――生きたいと思っていました。
 そのせいで終わりが早まっても。できることなら、あの人と一緒に、と。」

あの人。それが黒羽快斗であることは、二人にも理解できた。

「あの人が私にくれたのは夢です。まだ、幸せが残っているって。でも――――」

蒼が、涙で滲んだ。

「――――夢って、叶わないから夢なんですよね?」

静かに、彼女は泣いた。嗚咽を洩らすでもなく、泣き叫ぶでもなく。
ただ、静かに彼女は涙を流す。

平次は、黙ってうつむいた。新一は、何も言わずに上を向いた。
声は、扉の向こうから聞こえてきた。

「ちょっと、違うかな。」

「黒羽―――――――。」

音も無く扉を開けて、快斗が部屋に入ってきた。
ゆっくりと、彼が寝台に向かって歩を進める。

「夢は―――――完全には叶わないから。だから夢なんだ。」

彼女の許に、辿りつく。その瞳は、まっすぐに真由美を見つめていた。

「ずっと――――――永遠に。それは叶わない。けど―――――」

声が響いた。何の抑揚も無い――――――けれど、確かな声。

「君に、幸せは残ってる。俺は―――――まだここにいるだろ?」

瞳の蒼は、揺らいだままだった。その涙を拭おうともせずに、真由美が口を開く。
消えてしまいそうな、微かな。けれど、伝わる声。

「質問に、答えて」

「―――――――どの、質問?」

聞いた。どの問いかは分かっている。

「貴方は、私の瞳を奪うの?」

傍で聞いている平次達には、分かりはしなかっただろう。

「――――――欲しい。」

そう答えた。

「けど、君を傷つけるなんて、まっぴらごめんだ。」

「我侭。」

「そうかもね―――――でも俺には、君も同じくらい大切なんだ。
 情けないコトに、俺の全人生かけて追いかけてるものと同じくらいにね。」

肩をすくめて見せた。真由美の視線は、動かないままだったけれど。

「もう、いいわ。」

何かを決意して。真由美はようやく快斗を見た。涙は止まらなくても。
蒼が滲んだままでも。それでも、彼女は彼を見た。

「もう、貴方達には会わない。」

平次が。新一が。その言葉に、どちらからともなく部屋を出ていく。
二人は、何も語らなかった。その言葉の―――――決断の重みと。
その裏側の悲しみを知っていた。

「――――――――――――なんで。」

交わされた視線をほどいて、快斗が言った。
苦しげにうめく声が、部屋の空気に滲んで消える。

「私には――――――『同じくらい』じゃあ、きっと足りないもの。」

同じように、視線を逸らして。真由美が答える。

「我侭だって、分かってる。
 けど、『同じくらい』じゃあきっと―――――私は、貴方にとって必要では無くなってしまうもの。」


貴方は、忘れてしまうもの。もう、涙を流すことはせずに。
彼女はもう一度、快斗を見た。その目の蒼に、焼き付けるように。


「―――――――――ごめんな。」


自分は、ただの無力な人間だから。君に永遠をあげられない。


「馬鹿。」


優しくなんて、しないでください。貴方を恨むことが、できなくなるから。
謝ったりなんて、しないでください。許さなければ、ならなくなるから。


「貴方がくれた夢で、私がどれだけ絶望したか。わかる?」


でも、覚えていてください。
そんな夢でも。私は嫌いではなかったのです。


Episode3(21)
C.O.M.'s Novels