Episode3
―Missing Time 〜過行く時〜(21)―
快斗は、扉を閉めた。もう開けることはない、けれど、ただの扉。
―――――――魔法使いだよ。飛び切りカッコイイ、ね―――――――
そんな言葉を思い出す。嘘だ、と思った。
もし、この手に本当の魔法があったなら。何度でも、貴方のために唱えるのに。
この腕は、もう罪にまみれている。闇に染まっている。
(この腕(て)は――――――貴方を汚すだけで。)
救うことなど、出来はしない。
握り締めた拳が震えた。
「ええんか?それで―――――――。」
拳の向こうに見えたのは、平次の顔だった。
新一と二人で廊下の壁に背を預けて、今しがた彼らが出てきた扉を見つめている。
その視線が、快斗を通り抜けていた。
二人は、何をどこまで知っているのだろう?
快斗は思った。きっと、真由美の体の事は知っている。
彼女の瞳の事にも気付いている―――――そうでなければここに来るはずが無い。
真実を暴く、その意味で彼らは自分によく似ていた。真実とは疑い得ないもの。
いつ、どこで、何が起こったのか。その裏側に何が隠れているか。
それは全てのようで、けれど実はごくわずかな一部分に過ぎない。
今、何が正しいか自分達は知っているか?NOだ。
真由美が何を思うか知っているか?NOだ。
真実なんて、人の心にはない。真実が存在するものは、しないものよりずっと少ない。
それにもがく自分達は、よく似ていた。
「―――――――かまわない。」
理由なんて、分からない。
説明できそうにも無いけれど、それでもその結論だけは言葉になった。
かまわない。彼女が望むならそれで、かまわない。
「黒羽ッ―――――――。」
褐色の手が、快斗の襟を掴んだ。
込められた意思とは裏腹に、さして力が込められてはいなかったがそれでも少し平次に引き寄せられる。
「あの娘(こ)は――――――選んだんや。残りの命削ってでも、お前と一緒がええて。」
平次の眼が、険しく自分を見つめている。
後ろで新一が「服部」と止めたが、それが耳に届いた様子は無い。
「選んで、傷ついてしもたけど――――――、一度は確かに選んだんや。
今でも、それは変わりあらへん。お前しかおらんのや。
あの娘(こ)の傍で、あの娘(こ)を満たすことができるのは。
彼女がそう望むのはお前一人で、他にはおらん。
それでも――――――お前はあの娘(こ)の前から消えるんか?」
お前は、それでええんか―――――――?
険しく、悲しい目で。平次の声が辺りに響く。
「買いかぶりすぎだよ。俺は、彼女の事なんて何一つ分かっちゃいなかったんだ。」
「そんなもん、これから分かったらええ。ちゃうか?」
「そんな時間、俺には―――――彼女には無い――――――!」
快斗が、平次の手を振り払った。
「真由美の傍にいたい。出来るならすべて理解したい。救えるものなら救ってやりたい。ただ――――――」
呻く様に。快斗は言った。二人から目をそむける。
「ただ、その資格だけが俺には無い。」
その言葉を口にする快斗が、一番傷ついている。
それぐらいの事は、平次にも分かっていた。
どれだけ望んでも、叶わぬ彼女の願い。それが叶わぬのは、彼の所為なのだから。
たとえ、誰にもできないことでも。自分にできないことには変わりない。
「それでも―――――――」
それ以上は何も言えずに。平次は肩を落とした。
「お前だけ、なんや――――――――」
響いたその言葉は、悲しかった。
正直に答えてから、息を吐くことなく哀はため息をついた。
今の質問には答えないほうが賢明だったのではないかと思い直し、
せめてよく考えて応えるべきだったと後悔する。
ただし、それを表情に出すことは決してしない。患者に不安を与える医者など三流以下だ。
正直は美徳です――――――都合の良い偽善者と自分勝手な正義漢が喚くそれに、
賛同できたことなどおよそ今までに無かった。
正直者が先に死んでいく、そんな世界があることくらい知っている。
「ただの推測だけどね。」
そう付け加えた。本当にはっきりとは分からないという事実と、誤魔化しが半分。
狡さと正直さが半分ずつ。自分にしては上出来なほうだろうと、哀は心中で意味も無く誰かに弁解した。
「どちらにしても、そんなに時間は無い。そうでしょう?」
後一月か―――――――でも、思ってたよりは長いわ。そう言って真由美は微笑んだ。
「貴方には感謝してる―――――本当よ。」
真由美が快斗や平次、新一達と会わなくなったのは三日前のことだ。
その後も哀だけはこうして真由美の傍についている事を望んだし、
一度診た患者を手放すことは絶対に許容できない、
とまで言われれば真由美も強いて哀を遠ざけようとはしなかった。
「私に感謝したって、貴方は幸せになれないけどね。」
可愛くない憎まれ口にも、真由美はもう慣れてしまっている。
「それはそうかもしれないけど――――――いいの。私にはそれで十分。」
善い意味でも悪い意味でも、彼女は素直だった――――――明るいのは声だけで、顔は晴れないままだ。
だが、以前と比べれば随分感情が安定しているようにも思える。
「だから貴方も、自分を責めたりしないで?」
「――――――――それは、彼らに言ってあげたら?」
そう言って、哀は視線を移した。ベッドの反対側―――――ドアの方に。
「気付いてるんでしょう?あの人たち、毎日きてるわよ。」
皆、そんなに暇なわけでもないのに。よくやるわよね。ドアの向こうに呟いて、哀は視線を戻した。
「会うのが怖い?」
責任を感じているのは、何も快斗達ばかりではない。
今目の前で寝ている真由美にしても、自分にしても。
多分同じように自分を責めて――――――この現実に苛まれている。
「ええ。とても――――――怖い。」
真由美が答えた。
「また、何かを期待してしまいそうで。あるはずのない希望に縋ってしまいそうで。だから、怖いわ。」
「そう――――――。」
そう言いながら、哀は座っていた椅子から立ち上がった。
できるなら一日中でも真由美を診ていたいところなのだが、
自分にも生活がある手前どうしてもそういうわけには行かない。
軽く別れの挨拶を交わして、哀はベッドとは逆側のドアに向かった。
「そうそう――――――貴方に伝えたいことがあったのよ。」
伝えたいこと―――――といっても、それが伝えるべきものであるのかは自身が無い。
単純に、自分が彼女に伝えたい。それだけのことでこんな言葉を投げかける自分は、卑怯だろうか?
「私に?」
「そう。貴方に―――――前にね、黒羽君が私にこんなことを聞いてきたのよ。」
卑怯でかまわない。そう哀は思っていた。
このままこうして終わりを迎えることが、真由美の本当の望みではないと。そう信じていたいから。
―――――まだ、貴方に幸せは残っているのよ?
「貴方が―――――幸せになれるかな?って。そう聞いたわ。」
哀を見ていた真由美の表情が、わずかに動いた。
「貴方に、幸せになって欲しい。そう、私に言ったの。」
「哀さんは―――――なんと?」
「少なくとも―――――貴方は私より幸せになれる。」
微笑みかけた自分の顔は、果たして本当に微笑んでいたのだろうか?
泣いてはいないだろうか?
少し、哀には不安だった。
この言葉を言うことが、自分には―――――多分、少しだけ辛い。
「貴方の望む人が――――――貴方を望んでいるから。」
私とは、違ってね。少し表情を暗くした哀の言葉は、それでも部屋に響いた。
Episode3(22)
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