Episode3
―Missing Time 〜過行く時〜(22)―


ドアが開き、哀が中から姿を見せた。
廊下には快斗に新一、それに平次がそれぞれ思い思いの位置にいる―――――――
壁にもたれていたり、床に座り込んでいたり、だ。
香澄の姿は見当たらなかったが、それはいつものことだ。

「貴方達も、毎日よく来るわね。」

誰にというわけでなく、哀は声をかけた。
他人の事が言えた立場でもないが、自分は一応彼女と話して診察を行い、そして友人として付き合っている。
置かれている状況が大分違うだろう、とうのももっともなことだ。

「まぁな。ま、それでも――――――」

新一はいつも哀の後についてこの家に来て、そして哀とともに帰る。
一応は護衛のつもりらしかった。
『まぁ夏場だしな』という台詞もおかしくはないし、
実際暗くなってから帰るときもあるのだから哀も助かってはいる。

「何かあった時、ここにおったらすぐ動ける――――――そうやろ?」

哀の後を追った新一に続いて、平次が壁から背を離した。
平次の場合は純粋に心配なのだろう、と哀は思っている。
そんな優しさも、この探偵が名探偵たりえる理由のひとつではあるが。

「お節介には違いないわね。」

二人にそう答えて――――――哀は振り返った。
快斗は廊下に座り込んだまま動かない。それもいつもの事だ。
毎日服が変わっているし、食事も摂ってはいるようだが、
心をとばして座り込んでいる姿には多少の不安を覚える。

「それじゃ黒羽君―――――また明日。」

声をかけた哀に向かって、快斗がわずかに手をあげる。
ここ数日、快斗はまともに話そうとしていなかった。

「心配か?」

後ろから新一が聞いた。

「オメーも、それで結構やさしいからなぁ。」

「―――――まさか。そんな暇ないわよ。」

手をヒラヒラと振って見せた哀に、二人とも平次が素直やないなぁ、と笑いかけた。
だがそう言う平次にしてもそれは同じだ。
哀をからかう新一も、新一をはねつける哀も、二人を笑う平次も。
皆願っている。これ以上誰も傷つかないように。
真由美の事には、誰も触れない。何も、できることがないから話さない。
それでもできうる限りのことをしようと、ここにこうして集まっている。
言葉に出さずに、少しずつ嘘と矛盾を重ねて。「何かはできる」と繰り返して。
やはり何もできずに、感情をごまかして微笑みを交し合う。


そんな、僕らの夏。


短い、夏。





窓の外では、太陽の光が空気を射抜いている。
空は碧く、自然すぎる白い雲が浮かぶ。
蝉の声が主張している言葉は、多分「夏だ」と、ただそれだけ。
だがそれも、窓の外の世界だった。

今自分が座っている廊下はそれほど暑くもないし、むしろ適度に通り過ぎる風が心地いい。
汗ひとつかかない夏とは、不自然なものだろうか?
そうかもしれない。ただ、彼女にとってはきっとこんな夏が自然なのだ、と思う。
きっと、長い時を。独り、この家で刻み続けた少女。
そんな彼女にとっては、夏は窓越しの世界でしかない。

ただ、彼女の妹はその窓の外の世界を満喫しているようだった。
時折笑い声が聞こえてくる―――――多分相手はあの「わむ太」だろう。
その香澄は――――――この後どうなるのだろう?ふと、快斗の胸を疑問がよぎる。
賢い子なのは確かだが、だからといって一人で生きていける歳でもない。
彼女は普通の、十二歳の女の子だ。姉を失ったその先は―――――――

「そんなのは、問題じゃないか。」

つぶやく。そんな問題は、どうにかなる。誰かが手を差し伸べればいい。
彼女と供に過ごす『家族』呼べる存在が、きっと見つかるだろう。
彼女のような子なら、きっと。

問題は――――――香澄もまた、真由美と同じように死を迎えるのか。それだ。

何も、力になってやれない。それだけがはっきりしていて、一層気が滅入った。
そうでなければ良いとは思うものの、楽観できるはずもない。
真由美は以前、『一族の女』という言葉を使った。香澄も例外ではない、ということだ。

「呪と――――――絶望か。」

彼女の鎖は、その二つだけ――――――だが何よりも固い束縛だ。
諦める事しかできない、それが当然なのだろう。
それをわざわざ混乱させた自分は愚かだ。

「それでも―――――俺は君に、絶望なんてして欲しくないって思うんだよ。」

彼女は聞こえたはずはない。だがそんなことにはかまわず、快斗は扉の向こうに言葉を送った。
見えない彼女に、空虚な言葉を。
愚かな過ちを繰り返す。けれどただ、信じている。
それをしないことは、きっとそれ以上に―――――今の自分以上に、愚かだ。

「我侭で身勝手。君の言ったとおりだ。だけど――――」

届かない言葉。返らない言葉。

「君の絶望を、今なら俺も理解できる。でも、だからって諦める気になんて、なれない。」

君の気まぐれな笑顔も。すべて視通すようなまなざしも。
怒る仕草も、僕だけが見た涙も。失いたくなんて、ない。

「人は、絶望していたって夢を見れるはずだ。絶望も何かに変えられるかもしれない。」

声は、返らない。しばらくそのまま目を閉じて、快斗は立ち上がった。
彼女のドアの前を過ぎ去り、離れていく。

「――――――――――――?」

耳が何かを捉えて、快斗は立ち止まった。声ではない。
耳を澄ませて―――――――わずかな響きを感じとる。

「――――――――ピアノ」

誰かが――――――誰が?分からないわけがない。彼女だ。
透き通るような―――――
そんな調べが、ともすれば消え入ってしまいそうなほどの微かな音色で伝わってくる。
快斗には理解できた。これは、真由美の声だ。言葉にならない、そんな感情だけのメッセージ。

緩やかに、冷たく。鮮やかに、優しく。

彼女そのものがそこにはあった。
思わず自分が泣いているとしたら、彼女は自分を笑うだろうか?
わけも無く嬉しさがこみ上げる。
彼女を感じられることが、まだ彼女がそこにいるのだと分かることがたまらなく涙を誘った。
まだ、彼女の時は進んでいる。自分の隣でなくとも。


歌声が、旋律に乗って聞こえてくる。初めて聞く彼女のうた。



その響きを忘れぬよう、快斗はそっと心に染み込ませた。


Episode3(23)
C.O.M.'s Novels