Episode3
―Missing Time 〜過行く時〜(28)―
彼女がどこにいるのか。
それは、自分には分かっているように思えた。
何の根拠もない、ありふれた確信。
ただそれにしたがって、雨中の街を駆け抜けていく。
「私に関わらないで。」
貴方に会うこともなければ。涙を流すこともなかったのですか?
「――――――私も、そうは思わない。」
それでも、僕達は何かを信じて―――――信じられると、信じて。
「消えるの?――――――私も?」
100年の先も、貴方を想うことができたなら。
「私は、忘れたくない。――――――忘れられたく、ない。」
消え行くぬくもりも、幸せの香りも。
「我侭。」
傷つくのが、貴方でなければよかったのに。
「私には――――――『同じくらい』じゃあ、きっと足りないもの。」
もしも。何の迷いもなく貴方を選んでいたなら。
「残念ね―――――時間切れ。」
貴方の瞳が蒼に滲まなければ。僕は。
もう、すべてが手遅れになっていたとしても。
それでも、僕は――――――貴方を必要としていたのです。
「―――――――真由美。」
協会の脇を抜けて、坂道を登って。やがて見える、名も知らぬ木の、そのふもとに。
そこに、彼女はいた。
「――――――来てくれると、思ってた。」
ずっと、雨に打たれ続けていたのだろう。
長いプラチナの髪が、水を湛えて輝いていた。
微笑んだその姿は、いつもの彼女と変わらない。
快斗は、一歩彼女に近づいた。手を伸ばせば、届く距離。
「香澄は?」
「―――――――助かるよ。」
彼女の問いに、ゆっくりと答えた。
「だから君も、もう一度彼女に会える。」
「駄目よ――――――会えない。」
真由美が首を振る。少し遅れて、彼女の髪もわずかに揺れた。
「あの子には――――――私みたいに、苦しんで欲しくなかった。」
「気持ちは分かるけど、君がしたことは間違ってる。」
もう半歩、近づく。手を伸ばさずとも、届く距離。
「愛している?」
不意に、彼女が言った。
理解できずに、彼女の瞳を見つめ返す。
その瞳はやはり蒼く、快斗の迷いを映していた。
「貴方は、私を、愛している?」
その問いに答える資格は、自分にはない。
「この手は――――――君を汚すだけ。傷つけるだけだった。」
手を、伸ばす。彼女の髪に、そっと触れた。
「救えない俺に、その問いに答える資格はない。」
そっと、彼女の手が快斗の腕を払った。髪に触れていた手が、そっと動かされて宙に落ちる。
「―――――――愛してるとは、言ってくれないんだね―――――――」
彼女の瞳に、悲しみが燈る。それをとめられずに、快斗は見ていた。
彼女が、妹を殺めようとしたのは。きっと、絶望と呼ばれる何かで。
それを救えなかったのは自分で。
自分の胸に、ナイフが突き立てられるのを感じていた。
身体から、血と共に力が抜けていく。
だが不思議と、痛みを感じることはなかった。
ただ、彼女の悲しみが伝わってくる。
それは、彼女の瞳を滲ませるそれが涙に変わっていることを知っていたからか。
「ごめんなさい。」
バーカ。涙する彼女に、快斗は笑みを返した。
こうするしか、なかったのだと。そんな思いが、二人を支配していた。
求めてはならないものに焦がれ。絶望の中に夢を見てしまった、そんな二人だ。
彼女が微笑んだ。地に伏せた快斗の傍に、彼女がゆっくりと倒れてゆく。
「『愛している』。私にくらい、言わせてくれるよね―――――――――?」
髪が触れ合うほどの距離に横たわって。彼女は笑った。
「真由美――――――?」
頼りない言葉が、口から漏れる。
でも、覚えていてください。
そんな夢でも。私は嫌いではなかったのです。
たとえ、ひと時の夢だとしても。幻のように消え去る夢でも。
傷つくだけの夢であっても。何も知らない、愚かなだけの夢だったとしても。
救われると、信じていたのです。
いつまでも貴方と共に。そう夢見ることができたのです。
快斗は、歌を聴いていた。それは、いつか扉越しに聞いたメロディ。
――― そっと手を重ねて 「愛しているよ」と囁いて
嘘で構わないから それでも 貴方が好きだから
もし、この日々が夢だったのなら
覚めなければ良かったのに・・・・
そっと瞳を閉じて 「傍にいるよ」と囁いて
嘘と知っているから それでも 貴方を想うから
もし、私が消えていくなら
涙してくれれば良いのに・・・・
痛みでもいい 生きている事の証が欲しい
そっと手を繋いで 「忘れない」なんて言わないで
傷つくだけ 分かってるから それでも 貴方といたいから
そっと手を重ねて 「愛しているよ」と囁いて
嘘で構わないから それでも 貴方が好きだから
「愛しているよ」と囁いて
それでも 貴方が好きだから ―――
「真由美――――――?」
その言葉に、彼女が答えることはなかった。
それは、別れの歌であったのだと。何も語らぬ彼女が言う。
叫んだ。声にならない叫びが、自分の中で繰り返されていく。
さよなら。
泡沫の夢に、さよなら。
Episode4(1)
C.O.M.'s Novels