Episode3
―Missing Time 〜過行く時〜(8)―
「結論として、キッドの逃走経路は以上の3つ―――
他はまずもって有り得ないという事です。」
白馬探はそう言って1度言葉を切った。
そろそろ日付が変る頃だろうか―――会議室の中の空気はひどく澄んでいた。
腰ほどの高さテーブルは警視庁ではごく普通に使われているもので、
今更特に珍しいということは無い。
今はそのテーブルの上に杯戸美術館の見取り図が広げられていた。
何故か、とは言うまでも無い―――キッドが狙っている『月の涙』がそこにあるからだ。
「予告状によると犯行時刻は午前零時――――――満月が南中する時刻ですよね?」
「もう6時間もあらへんで―――――。
今晩は空に雲はでえへんやろうから、
確かにそんな長いこと空飛んで逃げるっちゅう訳にはいかんやろうな。」
「しかし、逃げるならば飛んで逃げる他あるまい――――
すると、問題は何処から飛ぶか―――なるほど、君達の言う通りだ。」
探の前には東西の名探偵――――工藤新一と服部平次、
それに怪盗キッド専任の中森警部がそれぞれ見取り図を確認している。
とはいえ、彼らの頭の中には既に美術館の構造くらい入っていたはずだ。
恐らくは、探が持ちこんだ見取り図と
自分達の記憶との間に違いが無いかを確認しているのだろう。
僅かでもお互いの認識にずれがあればキッドに乗ぜられる可能性もある。
「警官の配備計画は、警部が用意したもので何の問題も無いでしょう――――
さすがに、キッド相手ではパーフェクトとは行きませんが、
ただの警官が相手にできるとも思えませんし、まぁこれ以上は求められません。」
探の言葉に、他の3人が頷く。
分かっているのだ―――――あの怪盗の手際の良さを。
そして、それを相手に回せるとすれば自分達だけだと。
「警部は、いつも通り全体の指揮をお願いします。
間違ってもキッドに余裕を持たせるようなミスをしないで下さい―――――
逃走経路を限定できなければ、こちらが不利になりますから。」
恐らくはあの怪盗の事だから、前もって自分が練ったプランを忠実に辿るだろう。
多少警官隊の足並みが乱れたからといって逃走経路を変更する可能性はそんなに高くはないが、念の為だ。
「そして―――――キッドが選択し得る3つの逃走経路。これを僕達3人で分担します。
残念ながら彼が何処を通るかは予測できない、
それにもしこの3つのうちいずれかのルートが厳重に警備されていれば
他のルートを選択するくらいはするでしょうから―――――
僕等はそれぞれ単独で動きます。持ち場にキッドが来たら、一対一です。」
怪盗キッドが取ると思われるルートは、次の3つ。
一つは、美術館の屋上から屋根伝いに逃走、
200mほど離れたビルの屋上からハングライダーで飛び立つというもの。
そちら側は高層ビル街になっておりヘリでは追い難い為、
飛び立ちさえすればキッドが逃げきる公算はかなり高い。
二つ目も、同じく屋上から。
ただし今度はすぐにハングライダーで飛び立ち、すぐ傍を流れる川を横切った後に着陸。
後は街中を何らかの移動手段でもって逃走、というルートだ。
ハングライダーがヘリに捕まれば御仕舞いだが、
キッドを補足するチャンスは川を横切る途中、極めて短い時間でしかない。
最後は、美術館の裏口から脱出。
こちらは警官が固める予定だが、周囲の地理が入り組んでいる上に
キッドが罠を仕掛けようと思えば幾等でも仕組める―――――
いわば力ずくの逃走劇にはもってこいの場所だ。
「しかし――――――」
中森警部が苦い顔で3人を見た。
「奴が何か仕掛けをしていたら、これ以外のルートで逃げられる事も有り得るんじゃないか?」
「いえ、それはありません。」
対する探は落ち着いている。
本人も認めたくはないが、怪盗キッドとの付き合いももうかなり長くなる。
その結果得たものが与える落ち着きだ。
「彼の逃走方法は一見奇抜ですが、その実極めて合理的な方法を取っている――――
何があろうとも結局は一番逃げやすいところ、
つまりはこの3つのルートのいずれかを通るはずですよ。
確率は99%以上―――――賭けても良い。」
それは、推測よりも確信に近い。
お互いの手の内は知り尽くしている―――――問題は手札を見せた状態でどこまで裏をかけるかだ。
探のカードは、東西の名探偵。
キッドと対峙した経験を持つ名探偵達の中でも、飛びきりの実力を持つ二人だ――――
キッドに対する経験値以外は自分と比べて何の遜色もない。
この手札は、ワイルドカードとなり得るのか。
キッドが用意するカードは何なのか。
ギリギリまで敵の思考を追わねばならないだろう。
そんなことは、中森警部にも分かっている。だから、彼はそれ以上何も言わなかった。
「――――――分かった。私は自分の持ち場で全力を尽くす。後は君達に任せよう。」
それだけを言い残して、警部は会議室を後にした。
「良いのか――――――?俺達、一応民間人だぜ?」
警察を壁に使って、実際にキッドを追うのは一般人が3人。
いくら何でもまずくはないだろうか。
―――――新一にしては珍しいほどまともな意見だった。
「ええ―――――今回ばかりは、形式に構っている場合じゃあないんですよ。
警部も、僕もね。キッドを捕まえる事が第一 ―――――他はどうだって良い。」
「白馬探―――――アンタの噂くらいはオレらかて聞いとるけどな――――」
新一とは反対側から、今度は平次が口を挟む。
「このやり方は、らしくないやろ。いつもの白馬探なら――――もっと冷静なはずや。
こんな博打みたいな真似はせえへん。何考えとるんや?」
二人の質問に、探が返した答は一緒だった。
「だから、そんな事に構っている場合じゃあないんです。」
「なんか理由があるってのか?」
尋常ではない探の執着に何かを感じたのか、先程とは多少口調を変えて新一が尋ねる。
一瞬、探は躊躇する――――だが話さなくてもいずれは分かる事だし、
何より話さないままでは完全なチームワークの形成は難しくなる。
警部がこの会議室から出ていったのも、
暗に探に『話してくれ』と言っているのではないか?ならば――――
「その通りです。――――――実は―――――――――」
ゆっくり、探は口を開く。
Episode3(9)
C.O.M.'s Novels