Episode3
―Missing Time 〜過行く時〜(9)―


「快斗、ちょっといい?」

少しずつ太陽の光が紅くなってきてはいたが、今は夏。
実際に陽が沈むにはまだしばらくかかるだろう。

日暮れが近づくと少しずつ涼しさを帯びる風を受けて、まだ4人はそこにいた。
今は、哀が真由美の傍で話をしている。代わって青子が快斗の隣にいる状況だった。

「ん―――――なんだ?」

「今夜の、事なんだけど。」

「………怪盗キッドか?」

「うん――――――それと関係がある話。」

芝の上で寝転んでいた快斗の隣に、改めて青子が腰を降ろす。
その表情に、快斗は見覚えがあった。何かを言いたいのだけど、言い出せない。そんな顔だ。

「青子ね――――――」

「ああ。」

言葉が出てこない時、彼女は何度も自分の名前を繰り返す。
そして、そんな時快斗は何度も繰り返し彼女の名前を耳に刻む。

青子ね――――――。

何度繰り返したか分からなくなる頃、ようやく青子は次の言葉を発した。

「もうすぐこの街から――――――居なくなるの。」

その瞬間――――確かに顔にあたる風が冷たくなったなどと言ったら―――――。
きっと、哀は自分を笑うだろう。
新一や平次だって、それは言い過ぎだと苦笑するに違いない。

そう―――――いくら、突然の別離がそこにあったからといって、それは言い過ぎだ。
だがそれならば。この感情は、どう言い表せば良いのだろう?

「お父さんが―――――大阪に行くの。だから、青子も行くの。」

隣に座る彼女を、見上げる事が出来なかった。彼女が泣いていたのか。
それすらも、見ていない。覚えていない。

「だからね―――――もう快斗の傍に、居られないの―――――――。」

最後の声は、消え行く様に小さかった。



陽が沈み、西の空からも紅が消えるころ。
それを確認するかのように満月はゆっくりとその高度を上げていた。

「―――――――行くか。」

ビルの屋上で、快斗は独りつぶやく。
人はつぶやくときには独りでなくてはならない――――
たとえ、傍らに人が存在していても。

そして誰かに聞かれるつぶやきに意味などありはしない。

つぶやくとは多分そういうことだと、快斗は訳もなく信じていた。


身に纏っているのは、白い。
そうとしか表現できないほどに色みの無い抜け落ちたスーツ、シルクハットと青いシャツ。
赤いネクタイに片眼鏡だ。いうまでも無く、怪盗キッドの仕事装束である。


ふと、強い風が通り過ぎる。


それにあわせて軽く地を蹴りながら背中のグライダーを広げ、
何事も無いかのように風の上を滑っていく―――――今となっては慣れた作業に、よどみは無い。
そう、慣れてしまえば。慣れてさえしまえば、人はこうも簡単に飛べるものだ。
経験したことの無い者には不可能であっても、熟練者には呼吸と変わりない。


だから。


(――――――俺は、別れには慣れてない。)


多分、それだけのことだ。

遠くに行ってしまう幼馴染も、やがて死ぬというあの少女も、
慣れていくに従いどうということも無い別れのひとつになる。

いつかは、笑いながら語ることができるのだろう――――――涙を、忘れた心ならば。
何かに慣れるということは、そんなふうに。心を―――――忘れることなのだろうか?


私は、忘れたくない―――――忘れられたく、ない。


彼女の言葉が、胸をよぎる。今なら彼女が伝えようとしたものがわかる気がした。


夜空から雲とその後ろの月を背に美術館を見下ろす。
警備の警官達には届かない月光の影に隠れて。


「日付が変わった!キッドは既に進入しているはずだぞ!」


聞きなれた、少し間抜けな好敵手の声。それも今宵でお別れだ。
翼をたたみ、怪盗は地上に降り立つ。
美術館の、正面入り口の前。警備陣の目前に。


「踊りましょうか?――――――中森警部。」


目が合った男に―――――幼馴染の父親に。そう告げる。


「別離の円舞曲を―――――夜が明けるまで、ね。」


一瞬動揺を見せた警部に向かって、発光弾を投げつける。
恐らく、警部達の視界を奪ったのはほんの数秒だっただろう。

だがその一瞬の間に、快斗は美術館の中に飛び込んでいた。
いくらでも場所がある外と違い、スペースの美術館の中は警備の人数が少ない。
中に入ってしまえば後はこちらのものだ。

慌ててこちらに向かってくる警備陣をかわし、『月の涙』の展示室へ向かう。
いったん統制を失った今、警察は訳が分からないまま動いているに過ぎない―――――
トラップを仕掛け、別の方向に誘導して身動きを取れなくするのは簡単なことだった。


「ふうっ―――――。」


『月の涙』が快斗の視界に入った時には、もう彼を追うものは一人としていなかった。


「あれだな―――――『月の涙』は。」


他に比べて厳重に保管されたケースの中で、青く輝く宝石―――――紛れも無く『月の涙』だ。
軽々とケースをどけて、快斗はそれを手に取った。
その輝きと価値に比べて、それはあまりにも軽く、そして小さかった。


「楽勝――――――。」


手に取った蒼いダイヤを、いつものように月に翳す。
満月の光ならば、部屋の中からでもこれが目当ての宝石かどうかは分かるだろう。
じっと、宝石の中を見つめる。
その中に、他の『何か』は見つからなかった。


「ハズレ――――だな、これも。」


もう慣れてしまった失望感だが、それでもそれは平気だという意味では決して無い。
何度目になるのか忘れてしまった溜息が漏れた。


「ま―――――しょうがないか。」


そう言って放り上げた『月の涙』に、もう一度月光が射す。


光が、変わった。


Episode3(10)
C.O.M.'s Novels