Episode4
―Unrolled Role 〜孤独の月〜(7)―
「どれだけ無謀なことをしたのか、少しは分かった?」
聞こえたのは、いつもと同じ冷たい音色。
そして、やはり変わりない仕種で彼女がこちらに近づく。
ただし、赤みがかった茶色の髪が、今は首の後ろあたりで纏められていた。
「ドクター・・・・・・?」
間の抜けた声だったと、自分でもそう思う。
無意識のうちに声をあげて、今の声は怪盗キッドではなく黒羽快斗のそれだったと気付いた。
ただ、そんなことはどうでもいいという思いのほうが、後悔よりも先に浮かんだ。
「どうやってここに来たの?」
「簡単なことよ」
姿を見せた哀の手には、小さな機械が握られていた。
アンテナが付いた、何かのレシーバーを思わせるそのディスプレイの中央に、黄色い光点が点滅している。
「発信機か」
「そういうこと。
先ほど、わざわざ姿をさらしてくれた間抜けな怪盗さんにね。楽な仕事だったわ」
「そりゃどうも―――――で、わざわざ何のためにこんな所まで?」
まさか、そんな嫌味を言うためにこんなところまで来たわけでもあるまい。
「その間抜けな怪盗さんを助けにね」
全く不本意だわ。なんで私が貴方みたいな犯罪者を助けなければならないのかしら。
皮肉交じりの笑顔をこちらに向けて、哀が言う。
「貴方が捕まると困るのよ」
「―――――――何故」
自分のその質問が、どうやら目の前の女性には不服なようだった。
つかつかとこちらに歩み寄った哀が、びっ、と指をこちらに向けた。
その表情が、今度は怒った顔に変わる――――
それは、物分りが悪い子供を叱り付ける、小学校の先生か何かを思わせた。
「まだ、香澄さんには貴方が必要だから――――貴方は果たしなさい。
最後まで、自分のすべきことをね」
それは、たわいない一つの約束。けれど、自分は約束したのだ。
白木真由美が望むことを。白木真由美が望んだままに。
「言われるまでもないね」
もう、自分が彼女に―――彼女の妹に、してやれることは少ないだろう。
けれど、まだ最後の仕事が残っている。
香澄に見せてやりたいものが、まだ一つだけ、確かにあった。
「でもまずは、ここから逃げなきゃならない。ドクターが捕まってもまずいしね」
けれど、もう先ほどまでのような重さは、体から抜け落ちてしまっている。
気が紛れただけかもしれないし、何か他の理由があるのかもしれない。
「ドクター」
「何?」
「俺に翼は戻るかな?」
「さぁね。どうかしら――――――貴方次第なんじゃない?」
「そうだったね――――――でも」
でも、だから。
「俺は飛ぶよ」
今、この時。ただ一度だけでいい。
「真由美のためになら、俺はいつだって飛べる」
彼女は望んでくれるはずだ。
手の中にある彼女の瞳――――その色を持った石を、自分が香澄の許へと運ぶことを。
「もう一度だけ、俺に翼を」
《キッドらしき人影を確認。隣の廃ビルに潜伏中の模様。場所は―――――》
「やはり、隠れていましたね」
通信機から聞こえてくるその声に頷いて、探は歩き出した。
位置から言えば、東西の名探偵よりも自分のほうが近いようだ。
宿命か何か、そんなものの存在を少し信じてしまいそうになって、我ながら呆れる。
自分が怪盗キッドと対峙することは、そんな大それたものだろうか。
「白馬です――――キッドが潜伏しているのは何階ですか?」
《―――――また姿を消しています。先ほど見えたときは十階に潜伏していた模様》
「了解しました」
もしかすると、キッドもこの通信を聞いているのかもしれない。
あの怪盗のことだから、それくらいのことはしていておかしくは無かった。
「けれど――――貴方は、私を待っているのでしょう?」
連絡のあったビルに、程なく辿り着く。
怪盗キッドは、自分が辿り着くのを待っている。
何故か、と聞かれても理由は分からないがそれは確かなこと――――――
魔王が、何故か自分の城の玉座で勇者を待ち受けているようなものだ。
階段を上ると、足音がビル中に反響ように広がっていく。
この分なら、キッドもそう簡単には移動できないだろう。
自分の足音意外には物音一つ無いこの状況に満足しながらさらに歩を進めた。
「さて――――――来ましたよ」
誰かに告げるわけでもない、小さな呟き。
しかし、その言葉を待っていたかのように探の前に浮かんだ影があった。
もういまさら確認するまでもない、白に覆われたシルエット。
「三年前とは、場所が違いますが?」
からかうような声で、探は言った。
「申し訳ありません。ちょっとした手違いでしてね。
けれど、ちゃんと貴方を待っていたでしょう?それで許してください」
「――――――今回のこれは、いったい何のつもりです?」
「ご想像にお任せします――――
その辺は、あなた方の得意分野でしょう?」
想像と推理では、見た目には同じでも中身は全く違う。
言おうとして、その馬鹿らしさに気付いて探は言葉を飲み込む。
そんなことを、この怪盗が知らないわけが無いのだから。
「まぁ、構いませんよ。捕まえてから、ゆっくり聞くとしましょう」
「残念ながら、今日は時間がありませんので」
ですから、またの機会に――――――
キッドがそう言った時には、すでに視界は白い煙で覆われていた。
「そんな機会は、無いかもしれませんが、ね―――――」
後を追おうとして、探は諦めた。
逃げる体勢に入ったあの怪盗を追いかけたところで、捕まえることなど出来はしない。
真っ向から勝負する時でなければ。
「また、次の機会に―――――」
煙が晴れて、一人残されたそこで、探はまた呟いた。
そんな機会が、恐らくはもう残されていないことを。何故か知っていた。
Episode4(8)
C.O.M.'s Novels