Episode4
―Unrolled Role 〜孤独の月〜(8)―


 「降ろして頂戴」

 短時間で―――――しかも素人が修理した割には、ハンググイダーは快調に空を滑っていた。
 もっとも、修理に当たった灰原哀は玄人裸足という言葉を体現するため以外には
 存在していないような素人なわけで、そういった意味ではこの見事な修理っぷりもむしろ当然と言えるだろう。

 その灰原哀の抗議の声に、快斗は視線をそちらに向けた。
 腕の中に抱えられた哀の顔は、思っていたよりも近い場所にある。
 一応素直に運ばれてはいたが、その目つきからするに、『冗談じゃないわ』という声が聞こえてくるようだった。

「降りたら捕まるって分かってる」

「捕まらないように降りなさい」

 それは無茶だ。その発言は聞き流すことにして、快斗は視線を前方に戻す。
 警察のヘリはとうに振り切っているから、そう警戒するべきことも無いが。

「けど、ドクターが軽くてよかったよ」

「お世辞は結構よ」

「いや、本気―――――
 正直、後五キロ重かったらこのグライダー飛んでくれないから」

 沈黙があって。今の発言がまずかったことに、快斗は唐突に気付いた。
 自分は、このグライダーに重量制限があることを知っている。
 当然、グラム単位で。普段からかなり重い荷物を持ち運ぶので、気を使っているのだ。
 もちろん、自分の体重も把握している。

「今すぐ忘れなさい」

「いいじゃない。十分軽いと思うよ?」

 多分、そんな問題ではなくて。少し黙った後に、哀はこう言った。

「私と真由美さんだと、どっちが軽いのかしら」

「ん、なに?」

 なんでもないわ。
 折よく、月が雲間から姿を現す。目指す屋根が、遠く視界に映った。







 軽いノックの音で、香澄は目を覚ました。
 気付かない間に眠っていたらしい。
 兄が珈琲を持ってきて、それを飲んだところまでは覚えているのだが―――――

 ノックの音は、扉ではなく窓側から聞こえたようだった。
 いったい何事だろうかと考えていると、また一つ、窓が叩かれる。

 窓を開けたものか踏ん切りがつかずにいると、
 じれったくなったのか、ひょい、とノック音の主が顔を見せた。

「――――お兄ちゃん」

 ほっ、と安堵のため息をつく。
 窓を開けると、快斗は音も無く部屋の中に滑り込んだ。

「ただいま――――いい子にしてたか?」

「そりゃもう。当然でしょ?」

 部屋に入った快斗が、窓の外に手を伸ばす。
 何をするのかと思えば、哀がその手に引かれて同じように部屋に入ってきた。

「哀さん――――何してるの?」

「あらこんばんは――――
 そうね、貴方のいまいち頼りにならないお兄さんの手伝い、かしら」

 その言葉に、快斗がそっぽを向く。
 なにやら自分が知らない間に何やかやとあったようだ。
 聞こうとは思わないし、聞かせてくれるとも思えなかったが。

「それで、何かあったの?」

 香澄が言うのを待ってました――――そう言いたそうな表情で、快斗が懐に手を入れる。

「実は、見せたいものがあってね」



 取り出されたのは、淡いブルー。



「それが、何?」

「まぁ、見れば分かる―――――」


 快斗が、そっと宝石を月に掲げる。それは、何かを祈る姿にも見えた。
 『月の涙』―――――何よりも済んだ蒼が、満月の光に滲む。 




満月の光に掲げられたそれは。


 初めて見る、姉の瞳の色だった。


Epilogue
C.O.M.'s Novels